一
「親分、聽いたでせう?」
ガラツ八の八五郎は、鐵砲玉のやうに飛び込んで來ると、格子戸と鉢合せをして、二つ三つキリキリ舞ひをして、バアと狹い土間へ長んがい顎を突き出すのです。
「聽いたよ。今鳴つたのは、上野の辰刻(八時)だ。どんなに腹が減つてゐても、まだ晝飯は早え」
その癖平次は朝飯が濟んだばかり、秋の陽の退り行く、古疊の上に腹んばひになつて、煙草の煙を輪に吹いてゐるのでした。
「時の鐘の話ぢやありませんよ。扇屋の丹右衞門が、向島の寮で殺されたことを親分に知らせた筈ですよ」
「いや、一向聽かないよ」
錢形平次も起き直ります、扇屋丹右衞門と言へば、御倉前の札差仲間でも聞えた家柄で、有り餘る身上を擁しながら、當主の丹右衞門は女道樂から、書畫道樂普請道樂、揚弓から雜俳、小唄三味線の諸藝に至るまで、あらゆる道樂に凝つて稼業が面倒臭くなり、札差の株から店まで實弟の丹三郎に讓つて、自分は向島の白鬚に、金に飽かした宏莊な寮を營み、二人の妾と共に引籠つて、花鳥風月を友としてゐることは、當時の江戸に隱れもない事實だつたのです。
それを取卷くのは味噌摺り俳諧師に、野幇間繪描き、貧乏御家人と言つた顏觸れで、そんな手合を呼び集め總勢二十三人、昨夜の後の月、即ち九月十三夜の月見の宴を白鬚の寮に催したのでした。
「あつしがその月見に呼ばれて行つたんで」
八五郎のガラツ八は頤を撫でます。
「扇屋の取卷きの中へ、お前が一枚入つたといふのかえ、――お見それ申したが、お前も矢つ張りその十七文字の都々逸の伜見たいのを用ひるのかえ」
平次は酢つぱい顏をするのです。札付の道樂者、大通で金持で日本一のわけ知りと言はれてゐる扇屋丹右衞門の、取卷き見たいなことをしたのが氣に入らない樣子でした。
「飛んでもない、あつしは飮んで食ふだけが藝當で。親分も御存じの通り、瘡ツ氣と道樂氣は、これんばかりもありやしません」
「それぢや岡つ引や手先が、ノコノコ出かけて行くのは變ぢやないか」