一
「親分、長生きをしたくはありませんか」
八五郎がまた、途方もないことを言ふのです。
晴れあがつた五月の空、明神下のお長屋にも、爽やかな薫風が吹いて來るのです。
「へエ、よく/\死に度い人間は別だが、大抵の者は長生きをし度いと思つてゐるよ――尤も」
と言ひかけて、平次はニヤニヤしてゐるのです。
「何んです、氣味が惡いなア、あつしの顏を見て、いきなり笑ひ出したりして」
「それより、お前の話を聽かうぢやないか。長生きの祕傳でも教はつたのか」
「傳授事ぢやありませんよ。不老長壽の藥を賣出した奴があるから、江戸は廣いでせう」
「江戸は廣いなア。お前のやうに、何んの藥も呑まずに、百までも生きようといふ、のんびりした人相を備へた奴も住んでゐる」
平次の可笑しがつたのは、鼻の下を長くした、天下太平の八五郎の人相だつたのです。
「からかつちやいけませんよ。その不老長壽の藥が當つて、この一二年間に大した金儲けをした人間があつたとしたら、どんなものです」
「結構なことぢやないか」
「二三年前までは、唯の藥種屋だつたのが、或夜神農樣とやらが夢枕に立つて、不老不死の祕法を教へたとある」
「有難いことだな」
「それを賣出したが、一錠一朱といふ小判を煎じて呑むより恐ろしい値だが、世の中には金持が多いから、賣れるの賣れねえのと言つて」
八五郎は身振り澤山に説明するのです。
「不老不死は嬉しいね。尤も一年や二年では、目立つほど年を取らないから、藥の効能書などに文句を言ふ人間もないわけだ」
「その藥を呑んでも、中には死んだのもある。捻ぢ込んで行くと、その靈藥に食斷ちがある、不養生をして死ぬのは此方のせゐではないと言はれるとそれ迄でせう」
「成る程、食斷ちは氣が付かなかつたな」
「そのお藥を呑むには、食斷ちの外に信心が要る」
「何をやらかしや宜いんだ」
「神農樣をお祀りして、朝夕燈明をあげて、呪文を稱へる」
「油ウンケンか何んかやるんだらう。節のねえ呪文なら誰にでも出來るだらう」