TRENDIA CLASSIC

錢形平次捕物控

野村胡堂

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錢形の平次は、椽側の日向に座布團を持出して、その上に大胡坐をかくと、女房のお靜は後ろに廻つて、片襷をしたまゝ、月代を剃つて居りました。

八五郎は少し離れて、頬杖を突いて足を投げ出し、お先煙草を立てツ續けに燻して、これも引つきりなしに、無駄の掛け合ひをして居ります。

「お願ひだから八五郎さん、その冗談は止して下さいな。今丁度髯にかゝつてゐるんですもの、吹き出すたびに、危なくて危なくて――」

お靜は困じ果てて、剃刀を持つた白いかひなをあげました。不斷着の粗末な身扮、八つ口の赤いのだけが眼に沁みますが、身體にも若さと優しさがあつて、何んとも言へない良いポーズです。

「剃刀を使つてるものを笑わせるのは危ないぢやないか。一つ間違へば、下手人はお前だ」

平次は扇面型になつた、毛受けを下に置いて、方圖もなく冗談を言ふ八五郎をたしなめました。

「私は不器用で、剃刀はそりや下手なんだから」

お靜は自分のせゐにして、それとはなしに八五郎を庇つてやるのです。

「不器用は俺さ。貧乏人は、自分で月代をするくらゐの修業をするのもたしなみだが、知つての通り、俺は、髯を剃つても無事ぢや濟まないから、女房を仕込んでゐるんだが――」

平次はさう言つて、苦笑ひをするのです。平次の不器用は通りもので、ろくな棚も釣れないくせに、捕物となると、用意周到で、鬼神の働きをするのを、八五郎は不思議でたまらなかつたのです。尤もさう言ふ八五郎も、あまり器用ではなく、お靜の手から剃刀を取上げて、親分の月代をしてやるほどの自信はありません。

その頃の女は、剃刀を使へるのが一つのたしなみで、姑の眉を剃つてやつたり、亭主の髯を剃つたり、赤ん坊の罌粟坊主を剃つたり、なか/\に利用價値があつたわけです。安全剃刀のなかつた時代、亭主が度々髮結床へ行つて、將棋を指してばかり居られなかつた社會の、それは親しみ深い、つゝましやかな風景の一つだつたのです。

「ところで、どうした、まだ顎の下が殘つてゐるやうだが、急に止したりして」

平次は首をねじ曲げて、後ろを振り返りました。髯を剃るのを半分にして、肝心のお靜が、立ち縮んでしまつたのです。

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