TRENDIA CLASSIC

奇談クラブ〔戦後版〕

野村胡堂

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プロローグ

「徳川時代にも、幾度か璽光様のようなのが現われました。流行る流行らないは別として、信じ易い日本人は精神病医学のいわゆる憑依妄想を、たちまち生身の神仏に祭り上げたり、預言者扱いをして、常軌を逸した大騒ぎを始めるのです。私はそれが、良いとか悪いとか申すのではありません。兎にも角にもここでは、徳川時代の最も代表的な生き仏の話も皆様に聴いて頂こうかと思うのです」

奇談クラブの例の会場で、話し手の伊丹健一は、こんな調子で始めました。四十前後の色の白い巨大な体格の持主で、極めてよく身体についた小豆色の背広を着て居りますが、これが何んとやらいう有名な川柳研究家とは知る人も少いでしょう。

「――知らぬが仏竹々とこき使い――という古い川柳があります。これは、江戸大伝馬町の豪家佐久間某の家の下女お竹と申すものが、勿体なくも大日如来の化身であったという寛永年間の伝説を詠んだもので、そのことは斎藤月岑の有名な『武江年表』にも載っており、当時は大変な騒ぎでした。が、川柳家などというものは、恐ろしく洒落たもので、この徳川期の璽光様ともいうべきお竹大日如来を冷かして、『お竹の尻を叩いたらカンと鳴り』とか『お竹殿どうだと凡夫尻を打ち』などと怪しからぬ冒涜詩を作っております」

伊丹健一の話は、こう面白く発展して行くのでした。

下女のお竹は、その時二十一、透き徹るような清廉な娘でした。主人の佐久間勘解由は、東照宮入国のお供をして大伝馬町に住み付き、代々公儀の御用達を勤める身分ですが、生得気むずかしく、物事に容捨を知らぬ心掛けの人間で、それに連れ添う内儀のお杉は、けちで嫉妬で、主人にも増して奉公人にはむずかしい人柄でした。

下女のお竹は奉公人といっても遠縁の娘で、両親とも死に絶えて佐久間家に引取られ、奉公人同様にコキ使われていたのですから、その気兼苦労は一と通りではありません。

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