TRENDIA CLASSIC
人妻
永井壮吉
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住宅難の時節がら、桑田は出来ないことだとは知つてゐながら、引越す先があつたなら、現在借りてゐる二階を引払ひたいと思つて見たり、また忽気が変つて、たとへ今直ぐ出て行つて貰ひたいと言はれやうが、思のとゞくまではどうして動くものか、といふやうな気になつたりして、いづれとも決心がつかず、唯おちつかない心持で其日其日を送つてゐた。それも思返すと半年あまりになるのである。
二階を借りてゐる其家は小岩の町はづれで、省線の駅からは歩いて二十分ほど、江戸川の方へ寄つた田圃道。いづれも生垣を結ひ囲した同じやうな借家の中の一軒である。夏は蚊が多く冬は北風の吹き通す寒いところだといふ話であるが、桑田が他へ引越したいと思つてゐる理由は土地や気候などの為ではなかつた。家の主人と細君との家庭生活が、どこにも見られまいと思はれるばかり、程度以上に、また意想外に、親密で濃厚すぎるやうに思はれるのが、桑田にはわけもなく或時にはいやに羨しく見え、或時には馬鹿々々しく、結局それがために、今まではさほど気にもしてゐなかつた独身の不便と寂しさとが、どうやら我慢しきれないやうに思はれ出した。その為であつた。
桑田は一昨年の秋休戦と共に学校を出て、四ツ木町の土地建物会社に雇はれ、金町のアパートに居たのであるが、突然其筋からの命令で、同宿の人達一同と共に立退かねばならぬ事になり、引越先がないので途法にくれてゐたが、偶然或人の紹介で現在の二階へ引移つたのである。
年はまだ三十にはならないので、当分は学生の時と同様、独身生活をつゞけて行くつもりでゐたのだが、小岩の家の二階へ引越してから、とてもそんな悠長な、おちついた心持ではゐられなくなつたのである。