一
ガラッ八の八五郎は、こんないい心持になったことはありません。
親分の銭形平次の名代で、東両国の伊勢辰でたらふく飲んだ参会の帰り途、左手に折詰をブラ下げて、右手の爪楊枝で高々と歯をせせりながら、鼻唄か何か唄いながら、両国橋へ差しかかって来たのは真夜中近い刻限でした。
借着ながら羽織を引っかけて、懐中には羅紗の大紙入、これには親分の平次が、人中で恥を掻いちゃ――と一分二朱を入れてくれたのですから、自分の身上、六十八文と合せて、八五郎すっかりいい心持になったのも無理のないことです。
折柄の月夜、亥刻(十時)を過ぎると、橋の上もさすがに人足が絶えます。
「おや?」
ガラッ八は立止まりました。ツイ眼の前へ、人魂のようにフラフラと行くのは、後ろ姿ながら若くて美しそうな娘、何やら思案に暮れる様子で、深々と顎を埋め、襟の掛った秩父絹の袷、塩垂れてはいるが、赤い可愛らしい帯、すらりと裾を引いて、草履の足音も、ホトホトと力がありません。
娘はガラッ八の跟いて来るのに気が付かなかったものか、よろけるように欄干に凭れると、初冬の月を斜めに受けて、鉛色に淀んだ川の水を、ジイッと魅入られるように眺め入りました。
後れ毛を掻き上げるか弱い手、ホッと溜息を吐く様子までが、跫音を忍ばせたガラッ八には、手に取るごとく見えるのです。
娘はしばらく涙に暮れる様子でした。が、フト、後ろからガラッ八の近づくのに気が付くと、草履を脱いで、その上に何やら紙片を置き、簪を錘にして、
「南無――」
欄干へ攀じ登ったのです。
「危ないッ、待った」
後ろから飛付いたガラッ八、危うく欄干を越しそうにした娘の身体をもぎ離すと、それを抱き上げたまま、力余って後ろざまによろけます。
「あれーッ、放して下さい」
必死ともがく娘。
「とんでもねえ、放したらまた飛込むだろう。どんなわけがあるか知らねえが、死ぬのは不料簡――」
「いえいえ死ななきゃならないわけがある、お願いだから放して下さい」
華奢で骨細な娘ですが、必死の力を出すと、腕自慢のガラッ八にも容易には押え切れません。後ろから羽交締めに、欄干へ寄せないのが精一杯。