一
「親分、あっしはもう癪にさわってさわって」
ガラッ八の八五郎は、いきなり銭形平次の前に、長い顎を漂わせます。
よく晴れた秋の日の朝、平次は所在なく雁首を爪繰りながらあまり上等でない五匁玉の煙草包をほぐしているのでした。
「何をブリブリしているんだ。腹の立て栄えのする面じゃないぜ、手前なんか」
一服吸い付けて、平次はしばらく薄紫色の煙をなつかしむ風情です。
「だって、これが癪にさわらなかった日にゃ、親分、生きているとは言えないぜ」
「大層思い込んでしまったんだね。その癪にさわるわけを言ってみな。誰が一体手前に三年前の割前勘定なんか催促したんだ」
平次はまだニヤリニヤリとしております。
「そんなんじゃねえ。割前なんか、払わねえことに決めているから、催促されたって驚くあっしじゃねえが」
「なるほど、気は確かだ」
「町内の蝦夷床へ入って、順番を待つうち、中で木枕に頭を当てて、ツイウトウトとしかけたと思うと、多勢立て込んだ客が、あっしが居るとも知らずに、とんでもねえ話を始めた――」
ガラッ八の癪の原因は、何か筋道が立ちそうな気がして、平次も少しばかり本気になります。
「『近頃神田一円を荒し廻る辻斬野郎、――最初は弱そうな二本差を狙っていたが、近頃はタチが悪くなって、町人でも女子供でも、見境なくバサリバサリやった上、死骸の懐中物まで抜くというじゃないか、――武家の悪戯は、町方役人の知ったことじゃねえと言う積りだろうが、一体誰がこれを取締ってくれるんだ、――銭形とか平次とか、大層顔の良いのが居たって、辻斬へ指も差せねえようじゃ案山子ほどの役にも立たねえ』とこうだ、親分」
ガラッ八が腹を立てたのも無理はありませんが、町内の衆が、浮世床で不平を漏らしたのも理由のあることでした。この夏あたりから、神田一円を荒し廻る辻斬の無法惨虐な殺戮は町人達は言うまでもなく武家も役人も、御用聞の平次も腹に据え兼ねていたのです。しかし、市井の小泥棒や、町人同士の殺傷沙汰と違って、腕の利いた辻斬では、平次の手にも負えず、それに、神出鬼没の早業で、幾度か正体を見届け損ねて、夏も過ぎ、秋も半ばになったのでした。