TRENDIA CLASSIC

銭形平次捕物控

野村胡堂

1 / 14

元飯田橋の丁子風呂の女殺しは、物馴れた役人、手先もたった一目で胸を悪くしました。これほど残酷で、これほど巧妙で、これほど凄い殺人は滅多にあるものではありません。

少し順序を立てて話しましょう。

滅法暑かった年のことです。八朔から急に涼しくなりましたが、それでも日中は汗ばむ日が多いくらい、町の銭湯なども昼湯の客などは滅多にありません。わけても女湯はガラ空きで未刻(午後二時)から申刻(四時)までに入る客というのは、大抵決った顔触れと言ってもいいくらいでした。

旗本のお妾のお才が出て、町内の金棒引――家主の佐兵衛の女房で、若くて少しは綺麗なのが自慢の――お六が入ったのはちょうど未刻半(午後三時)、番台に誰も居なかったので、

「ちょいと、今日は。誰も居ないのかえ、気楽ねえ」

そんな事を言いながら、着物を脱いで、少し乾いた流しを爪先歩きに石榴口から静かに入りました。

そこまでは無事でしたが、間もなく、

「あッ、た、大変ッ」

お六は鉄砲玉のように石榴口から飛出すと、流しに滑って物の見事に仰け反りました。

「どうなすったんです、御新造さん」

番台へ登ろうとしていた丁子風呂のお神さんと、釜前に居た三助の丑松は、両方から飛んで来てお六を抱き起しました。

「お怪我をなさいませんか」

よくある奴で、流しへ滑って転んだとばかり思い込んだのです。

「あッ血」

起してみると、お六の半身を桃色に染めて、紛れもない血潮。

「中に、人が」

お六は上半身を起して一生懸命石榴口を指しますが、あまりの驚きに、口もきけません。

「浴槽の中に、何かあったんですか」

三助の丑松は、お六をお神さんに任せて、石榴口から中を覗きました。

「あッ死んでいる」

薄暗い浴槽の中ですが、慣れた眼には、たった一と目で、その中に若い女が、俯きになって、上半身を沈めているのが判ったのです。

「どうしたのさ」

お神さんも続いて覗きました。三助の丑松はそれを少し退かせて、油障子の天窓から入る、午後の陽を一パイに石榴口から入れて見ると浴槽の中は、さながら蘇芳を溶いたよう、その中に、上半身を沈めた恰好になって若い女が死んでいるのですから、その凄さというものはありません。

野村胡堂の他の作品