一
昼頃から降り続いた雪が、宵には小やみになりましたが、それでも三寸あまり積って、今戸の往来もハタと絶えてしまいました。
越後屋佐吉は、女房のお市と差し向いで、長火鉢に顔をほてらせながら、二三本あけましたが、寒さのせいか一向発しません。
「銭湯へ行くのはおっくうだし、按摩を取らせたいにも、こんな時は意地が悪く笛も聞えないね」
「お前さん、そんな事を言ったって無理だよ、この雪だもの、目の不自由な者なんか、歩かれはしない」
そんな事を言いながら、ちょうど三本目の雫を切った時でした。ツイ鼻の先の雨戸をトン、トン、トンと軽く叩く者があったのです。
「おや――」
お市は膝を立て直しました。宵とはいってもこの大雪に、往来の方へ向いた、入口の格子を叩くならまだしも、川岸へ廻って、庭の木戸から縁側の雨戸を叩く者があるとすると、全く唯事ではありません。
「どうしたんだい」
と、佐吉。
「雨戸を叩く者があるんだよ。こんな晩にいやだねえ、本当に」
「開けてみな、貉や狸なら、早速煮て食おうじゃないか。酒はまだあるが、肴ときた日には、ろくな沢庵もねえ」
佐吉は少し酔っているせいもあったでしょう。爪楊枝で歯をせせりながら、太平楽を極めますが、いくらか酒量の少ない女房のお市は、さすがに不気味だったとみえて、幾度も躊躇いながら、それでも立上がって、雨戸へ手を掛けました。
同時に、もう一度トン、トン、トンと軽く叩く音、続いて若い女の声で、
「ここを開けて下さいな――」
と、大地の底から響くようなか細い声が、ハッキリ雨戸の外に聞こえるのです。
「誰だえ」
お市は心張棒を外すと、思い切ってガラリと開けました。
角兵衛獅子の親方を振り出しに、女衒の真似をやったり、遊び人の仲間へ入ったり、今では今戸に一戸を構えて、諸方へ烏金を廻し、至って裕福に暮している佐吉の女房です。鬼の亭主に鬼神で、大概の物に驚くような女ではありませんが、この時ばかりは全くギョッとしました。
外は真っ白――。
人間はおろか、貉も狸もいる様子はなかったのです。