君臣相念
本文約8,700字 ・ 読了時間 約18分
あらすじ(AIが作成しました)
東大寺での聖武天皇大仏造顕千二百年記念法要への参列を機に、著者は天皇が国民を慈しみ撫でる「撫づ」という言葉に込められた君臣相念の精神を紐解く。かつての平和な祭典の記憶を回想しつつ、近代以降に形式化され遠ざかった天皇と国民との関係について考察する。聖武天皇の時代から続く祈りと受難の歴史を辿り、現代における真の救いや皇統の深い意味を論じ、終戦の詔勅に触れながら自身の信仰と今後の宗教的な姿勢を綴る。
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聖武天皇が大仏造顕を御発願あそばされ、その詔を賜つたのは天平十五年十月十五日であつた。昭和十八年十月十五日はそれからちやうど千二百年目に当るので、東大寺では盛大な記念法要が営まれた。私もお招きをうけて、天平の古を模した祭典を拝観することが出来た。戦ひのさなかとはいへ、未だ本土空襲もなかつた頃なので、蜻蛉の飛びかふ秋空のもとに、至極おだやかに祭典はとり行はれた。もう二年前のことであるから、詳しいことは記憶から失せてしまつたが、いま秋の日に、心に残る印象を辿りつゝ祭りの思ひ出を記してみたい。しかし終戦後の昨今を思ふと、様々の感慨が浮んで、平静に祭りの印象だけを語ることは不可能なやうだ。眼前には皇統の一大事がある。天平の古 聖武天皇が時代に深憂し給ひ、大仏造顕によつて我が国土を浄土さながらに荘厳ならしめんと念じ給へる、博大な御信仰を偲び奉ることいよいよ切なるものがある。御詔勅は「天平の花華」の中にその大方を謹記したが、冒頭の次の御言葉を今日とくに想起申し上げたい。
「朕薄徳を以て、恭しく大位を承け、志は兼済に在りて、勤みて人物を撫づ。率土の浜は已に仁恕に霑ふと雖も、而も普天之下は未だ法恩を浴びず。誠に三宝の威霊に頼りて、乾坤は相泰に、万代の福業を修めて動植は咸く栄えしめむと欲す。」
つゞいてさきに謹記せる大仏造顕の御念願が述べられてあるのだが、この冒頭の御言葉に、皇統の永久不滅なる御信念がはつきりとうかゞはれるであらう。とくに「勤みて人物を撫づ」の「撫づ」といふ御言葉は極めて重大で、 聖武天皇御一代の御詔勅や御製に屡拝さるるところである。千二百年祭の根本精神も、要するにこの御一語にきはまると私は思つてゐる。たとへば次のごとき御製。
食国の 遠の朝廷に 汝等し 斯く罷りなば 平らけく 吾は遊ばむ 手抱きて 我は御在さむ 天皇朕が うづの御手以ち 掻撫でぞ 労ぎたまふ うち撫でぞ 労ぎたまふ 還り来む日 相飲まむ酒ぞ この豊御酒は