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TORENDIA

帰依と復活

本文約7,300字 ・ 読了時間 約15分

あらすじ(AIが作成しました)

著者による大和の古寺・古仏巡礼を通じた古典への態度と信仰を綴る。現代における古典の実際的な意味への疑念を抱えながらも、仏像に接することでそれらを放下し、愛と信仰によって過去と現在を繋ぐ道のりを示す。歴史とは人間悲願の物語であり、美術研究や教養としてではなく、祈りを通じて古人の思ひに心をいたし、自己を没却して帰依することが、真の精神的な復活への唯一の道であることを説く。

龜井勝一郎

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私の大和古寺巡礼は、まづ夢殿に上宮太子を偲び奉り、ついで法隆寺、中宮寺、法輪寺、薬師寺、唐招提寺、東大寺をめぐつて、最後はいつも新薬師寺で終るのであるが、これで飛鳥白鳳天平の主なる古寺はひととほり歩いたことになる。私は数年来これをくりかへしてきた。そのあひだに古寺や古仏に対する自分の態度にも様々の変化があつたし、さういふ心の起伏については随時述べてきたが、こゝでもう一度いま私の抱いてゐる感慨をまとめて述べておきたい。それは他の古典にも通ずるであらう、云はば私の懐古の態度である。決して新しい見解ではない。既に解決したと思ひこんでゐる問題や、わかりきつたこととして顧みずにゐるやうなことをも、幾度も心に問ひ質して、つねに初心者の気持を失ふまい、絶えず発心する者でありたいといふのが私の願ひなのだ。新薬師寺を最後にみて、南大門を後に宿へ帰る道すがら、私の思ふことはいつもこの一事である。以下そのための覚え書である。

*

すべて古典や古寺に接するとき、我々はまづそれが現代に何の役に立つか、その実際的な意味を問はうとしがちである。大和の古仏の美しさは誰しもみとめるであらう。しかしさういふ美しさや崇高な挙措が、現代の錯雑した問題を解明するに果して役立つだらうか。そこに救ひはあるだらうか。――これは様々な意味で有力な疑惑であるといへよう。必ず一度は直面するにちがひないこの大事な第一問を、徹底的に考へてみようとする人は尠い。この疑惑の重大さに気づかない。そして過去のものがどんなに優れてゐようと、要するにそれは過去であつて、現代人たる自分達は新しい創造に生きねばならぬといふ見解に達する。少くとも重点は現代に在つて、過去は第二義的だといふ。あるひは逆に、過去こそ一切であつて、現在は無だといふ考へ方もある。

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