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TORENDIA

教育と文芸

本文約6,800字 ・ 読了時間 約14分

あらすじ(AIが作成しました)

教育会での講演をもとに、明治維新前後の教育と文学の変遷を論じる。かつては理想を掲げた情緒的な感激教育と浪漫主義が主流であったが、科学精神の普及により、現在は事実を重んじ、人間の二面性を認める二元的で寛容な社会へと変化したと指摘する。自然主義文学の反動を経て、今後は現実的な目標に基づく自然主義と浪漫主義の調和が不可欠であり、これらが密接に関係し合う教育と文学の将来像を提示する。

夏目漱石

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私は思いがけなく前から当地の教育会の御招待を受けました。凡そ一カ月前に御通知がありましたが、私は、その時になって見なければ、出られるか出られぬか分らぬために、直にお答をすることが出来ませんでした。しかし、御懇切の御招待ですから義理にもと思いまして体だけ出懸けて参りました。別に面白いお話も出来ません、前申した通り体だけ義理にもと出かけたわけであります。

私のやる演題はこういう教育会の会場での経験がないのでこまりました。が、名が教育会であるし、引受ける私は文学に関係あるものであるから、教育と文芸という事にするが能いと思いまして、こういう題にしました。この教育と文芸というのは、諸君が主であるからまげて教育をさきとしたのであります。

よく誤解される事がありますので、そんな事があっては済みませんから、ちょっと注意を申述べて置きます。教育といえばおもに学校教育であるように思われますが、今私の教育というのは社会教育及家庭教育までも含んだものであります。

また私のここにいわゆる文芸は文学である、日本における文学といえば先小説戯曲であると思います。順序は矛盾しましたが、広義の教育、殊に、徳育とそれから文学の方面殊に、小説戯曲との関係連絡の状態についてお話致します。日本における教育を昔と今とに区別して相比較するに、昔の教育は、一種の理想を立て、その理想を是非実現しようとする教育である。しこうして、その理想なるものが、忠とか孝とかいう、一種抽象した概念を直ちに実際として、即ち、この世にあり得るものとして、それを理想とさせた、即ち孔子を本家として、全然その通りにならなくともとにかくそれを目あてとして行くのであります。

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