六月十三日に、ぬがされていた足袋をはき、それから帯をしめ、風呂敷の包みを下げて舗道へ出たら、駒下駄の二つの歯がアスファルトにあたる感じが、一足一足と、異様にはっきり氷嚢の下の心臓にこたえた。その時着ていた着物とは全くかかわりなくすっかり夏になりきっている往来のカンカンした日光の強さと、足の裏から体に伝わったその下駄の歯の感覚を、僅かに七八歩あるいただけだがわたしは恐らく一生涯忘れ得ないであろう。
ペンがこうして原稿紙に当ってゆく抵抗の感じに、すっかりそのままというのではないが、やっぱりその下駄の歯から心臓に伝って来た感覚に似たものがある。書くという動作を意識せずには、書けない。今自分が生活の中から感じていることは、多様で、刻み目も深い。だが、そのどれをも同じほどとことんまで書くことが、可能であるとは云えないのである。
がらくたが永年つくねてある場所から、わたしは籐でこしらえた妙な坐椅子のようなものを見つけだして来た。
寝床の上へその坐椅子を置き、しびれて曲りにくい脚をなげ出し、わたしは何通もの手紙を書いた。
二十になる妹がそのわきに長くころがって手紙を書いているわたしの様子を眺め、
「お姉さま、よくそうやってかけるわね」
と云った。わたしは昔のひとがやるように巻紙を片手にもち、筆のさきをもって手紙を書いているのであった。書きながら上の空でわたしは、
「うむ」
と云い、やや暫く間をおいて、
「おかあさまにおそわったんだよ」
と、筆に墨をふくませつつ妹の顔は見ず云った。
「ふーん」
顎を振るようにしておかっぱの髪をパラリとさばき、黙っていたが、やがてころりと仰向きになって、
「――何だか気ぬけがしちゃった」
と、弱々しい、しなやかな余韻のある声で云った。
わたしは黙っている。自分はどの手紙にも、母が今生涯を終ったことは、母にとって最もよい終焉であったと書き、その手紙にもそのことを大きい疑いをもたぬ字でかいているのであった。
母が父の存命中、生涯を終ったことは、母にとって、一家にとって、一つの幸福であると云う考えは、明瞭につよくわたしの心を貫いて存在している。