二人いるとき
本文約8,600字 ・ 読了時間 約18分
あらすじ(AIが作成しました)
洋裁の仕事先である幸治と尚子の夫婦を訪ねた多喜子は、彼らの歪な関係性に触れ、恐ろしい陰りを感じる。その後、多喜子は友人たちとの対話を通じて、戦時下の生活における苦難や、芸術と生への執着について思いを巡らせる。夫の参吉と共に、燈火管制下の静まり返った夜の街を歩く中で、多喜子は自らの生活の行く末を噛みしめ、夫への想いを深めていく。
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習慣になっているというだけの丁寧なものごしで、取次いだ若い女は、
「おそれいりますが少々おまち下さいませ」と引下って行った。
土庇が出ている茶がかった客間なので、庭の梧桐の太い根元にその根をからめて咲き出ている山茶花の花や葉のあたりを暖かく照らしている陽は、座敷の奥まで入って来ない。多喜子は、座布団の上で洋装の膝をやや崩して坐りながら、細い結婚指輪だけはまっている手をもう一方の手でこすった。床柱も、そこの一輪差しに活けられている黄菊の花弁の冷たささえも頬に感じられて来るような室の底冷える空気である。
暫くぽつんとしていると、廊下のあっちの方で、
「お客様にお火をさしあげて?」
と云っている尚子のきき馴れた高い声がした。
「あら。どうして? すぐ持って来て下さいよ、お茶もね」
区切りのドアが開くと一緒に尚子の言葉がすぐそこに響いた。
「失礼いたしました」
そこへ出ていた坐布団の上へ両膝をいちどきにおとすように尚子は女学生っぽい挨拶のしようをした。
「御免なさいね、お火もないところでお待たせして」
多喜子は、大きめの手提鞄をあけて仮縫いにかかっている服をとり出した。
「すぐなさいます?」
「もう少しあったまってからにしようじゃないの。――でも、……おいそぎになるの?」
「いいえ、そうでもないんですけれど……」
「じゃあ、ゆっくりなさいよ。きょうはうちでも珍しくすこし風邪気味でお休みだし――……」
一二度麻雀に誘われて遊んだりしたことのある良人の幸治のことを云い、尚子は、
「でも、私、ほんとにあなたはお偉いと思うわ」
丸い柔かいウエーヴのよく似合う顔立ちにいつわりのない色を浮かべて云った。
「よくお仕事はお仕事と、いつもきっちり事務的にやっていらっしゃると思うわ。私たちなんかお友達がよったらもうおしまいよ、つい喋っちまって」
「あら。私たちだって、随分だらしないときもありますわ」
「そうかしら。拝見したことないわ」
困ったような、はにかんだような笑いかたをして多喜子はちょっと居住まいをなおした。関係から云っても、同級であった桃子の兄嫁のところへ、ただ洋裁の仕事先として多喜子は来ているのであった。