二つの庭
本文約193,800字 ・ 読了時間 約388分
あらすじ(AIが作成しました)
父の不在を知り駒沢の生家を訪れた伸子は、母多計代や弟の保、そして縁のある人々との交流を通じて、自身の周囲に漂う人間関係の冷淡さや空虚感に触れる。海外渡航を目前に控え、親族の婚姻問題や家族との対話に複雑な思いを抱きながら、伸子は自身の生き方や周囲の生活の在り方について静かに思索を深めていく。本作は、伸子の心理的な葛藤と、移ろいゆく家庭や社会の断片を描く。
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一
隣の家の篠竹が根をはって、こちらの通路へほそい筍を生やしている。そこの竹垣について曲ると、いつになく正面の車庫の戸があけはなされていた。自動車の掃除最中らしいのに、人の姿はなくて、トタン張りの壁に裸電燈が一つ、陰気にぼんやり灯っている。
伸子はけげんそうな顔で内玄関へ通じるその石敷道を歩いて行った。すると、ゆずり葉の枝のさし出た内庭の垣の角から、ひょっこり江田が姿をあらわした。おさがりの細かい格子のハンティングをかぶって、ゴム長をはき、シャツの腕をまくり上げた手に大きいなめし革の艶出し雑巾をにぎっている。江田は、伸子を見ると、
「や、いらっしゃいまし」
ハンティングをぬいで頭を下げた。
「こんにちは。――手入れ?」
伸子はきいた。
「はあ。お留守のうちにすこし念入りにやって置こうと思いまして……」
「きょうは、事務所じゃないの?」
「ゆうべの急行で山形へお立ちになりました」
「あら! そうなの――」
伸子は、がっかりした声を出した。
「きょうは、お父様のお誕生日だったのよ、だからと思って来たのに――」
江田は、
「それゃ知りませんでしたな」
律気者らしく伸子の失望した顔を見た。
「奥様はおいでですよ――お客様のようですが……」
「どなた?」
「さア……越智さんだと思いますが――」
駒沢の奥からここまで来たことが一層つまらなく思われた。ハトロンに包んだ花を下げたまま、伸子はしばらくそこに立って江田が小型ビインの手入れをするのを見ていた。しばらくすると、江田が、
「伸子さま、ともかくお上りんなったらいかがです、そのうちにはお客さまもすむでしょうから」
といった。
「和一郎さんたちはいるのかしら」
「保さんがおいでです」
伸子は、まわり道までして買って来たバラの花を飾る場所を失った心持で内玄関から上った。左手のドアがきっちりしまっている。そこは客室であった。いつもは華やかなよく響く調子で客と応待する母の声が、きょうはひとつも外へ洩れて来ない。不自然な気分で、伸子は廊下一つへだてた食堂の一方だけあいているドアから入った。