TRENDIA CLASSIC

働く婦人

宮本百合子

1 / 6

この頃は、女のひと、という響につれて、すぐに人の心に何かの意味で、働いている女のひとという感じが浮ぶようになって来ていると思う。その点では、家庭の女というものの感じかたも自他ともに変化して来ていて、家庭の女の生活が、時代の風波から離れた片隅の幸福に保証されているものだと思っているひともなくなった。新聞のほんとうの社会欄は婦人欄へ移った、と云ったことがあるが、この表現には今日の社会生活の現実の姿がなかなかうまく云いあてられている。これまでは家庭の主婦たちのためにあった家庭欄の記事を、今日という時代は男にも深い関心をもって読ませる。炭の合理的な使いようは日々のこととして男にとっても必須になって来ているし、この頃は男は月給袋だけ家へもってかえればいいのでなくて、卵とか干うどんとかバタとか、そんな男の買いものもふえてきているのである。

家のことは女まかせ、という旧い生活感情は一般から急速に崩れて来ているのだが、それならばそのような今日の状態が、男も女とともに家庭経営についてやってゆくように成長したという、社会感情の明るい進歩の証明であるかというとそれは決して簡単に云い切れないと思う。男の日常的な関心がそこまで高まったというよりは、生活資料の問題からそこまで低くひろがらざるを得なくなって来た、という風なのではなかろうか。男の社会生活の面のひろいということが、いわば卵についても干うどんについても家庭にだけこもっていた主婦たちよりより積極な解決の方法を見出しやすくしていて、餌を運ぶ男としての役割が逆行的にふえて来ている。そんな工合に、男のひと自身には今日が感じられている面もあるのではないだろうか。所謂非常時の暮しとしてそれが受けいれられているが、家庭とか妻とかいうものについての根本の考えかたには変化ないように思われる。根本に変化はないままに、家庭の女といえどもより働くのが当然という感じかたが加わって来ていると思う。

宮本百合子の他の作品