ここに一枚のスケッチがある。のどもとのつまった貧しい服装をした中年の女がドアの前に佇み、永年の力仕事で節の大きく高くなった手で、そのドアをノックしている。貧しさの中でも慎しみぶかく小ざっぱりとかき上げられて、かたく巻きつけられている髪。うつむいている顔は、やっと決心して来た医者のドアの前で、自分の静かに重いノックにこたえられる内からの声に耳を傾けているばかりでなく、その横顔全体に何と深い生活の愁いが漲っていることだろう。彼女は妊娠している。うつむきながら、決心と期待と不安とをこめて一つ二つと左手でノックする。右の手は、重い腹をすべって垂れ下っている粗いスカートを掴むように握っている。
「医者のもとで」という題のこのスケッチには不思議に心に迫る力がこもっている。名もない、一人の貧しい、身重の女が全身から滲み出しているものは、生活に苦しんでいる人間の無限の訴えと、その苦悩の偽りなさと、そのような苦しみは軽蔑することが不可能であるという強い感銘とである。そしてさらに感じることは、ケーテ・コルヴィッツはここにたった一人の、医者のドアをノックする女を描きだしているだけではないということである。ケーテはモデルへつきない同感を、リアリスティックなつよい線と明暗とで、確り感傷なく描き出して、忘れ難い人生の場面は到るところに在るということを示しているのである。
世界の美術史には、これまでに何人かの傑れた婦人画家たちの名が記されている。ローザ・ボヌールの「馬市」の絵だの、「出あい」という作品を残して二十四歳の生涯を終ったマリア・バシュキルツェフ。灰色と薄桃色と黒との諧調で独特に粋な感覚の世界をつくったマリー・ローランサン。しかし、ケーテ・コルヴィッツの存在はドイツの誇りであるばかりでなく、その生涯と労作とは、決してただ画才の豊かであった一人の婦人画家としての物語に尽しきれない。ケーテは何かの意味で、絵画という芸術の船を人生と歴史の大海へ漕ぎすすめた女流選手の一人なのである。