〔二字伏字〕のおかげで農村の生活は一層ひどくなった。
この間東北の田舎へ帰ったひとからの手紙によると、村で五十銭ダマなどはもう半年も前から見ることが出来ない状態だそうだ。年とったおっ母さんが野菜売りに歩きはじめて一日に十銭から十五銭。救農事業というものが、どこの地方でも食わせものであることに、あきれたと書いている。
内職もひどいもので繩一まる(五百五十間)三十六銭。しかもこれは馴れた腕の大の男が朝六時半ごろから夜八時までかかっての仕事だし、米を一升食わねば、これだけの精は出せぬ。ひき合うものでない。炭運びにしろ、女は三俵つんで日に二度、一里ぐらいを往復して一俵につき五銭だ。
肥料なんど七割近い騰貴で、問題にならぬ。税の滞納は村の九分通りだそうである。初めのうちは皆心配したり、びくついていたが、村じゅうこうなっては却って力がついて、一つかたまって減[#「減」に×傍点]税の運動をやろうでないかという気運が出て来ているそうである。
「自力更生か! フフン」と年よりでも外方を向く気分だ。そういうようなことが書いてあった。
私は折から来ていた、これは木曾の方の人に、その手紙のなかのことを話したら、
「それは、どこでもだね」
と云った。
「木曾の方は又違った風で、えらい目をしている」
木曾は知ってのとおり山々が大抵御用[#「御用」に×傍点]林で、その山の根がたの住民の生計は炭焼き主だが、炭が俵二十何銭では一ヵ村かたまって炭の材料になる御用[#「御用」に×傍点]林の木を払い下げをして貰うことは出来ん状態になって来た。
さりとて木がなくては炭はやけず、損とわかっても炭をやかねば命が繋げないから、村では評議して、先ず何人か犠牲をきめておいて、御用林[#「御用林」に×傍点]の木を〔六字伏字〕して炭にやいてしまう。村がそれでどうやら食って、犠牲者は仕方がない。ブタ箱[#「ブタ箱」に×傍点]行きである。そうして、やいている。