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TORENDIA

生態の流行

本文約2,600字 ・ 読了時間 約6分

あらすじ(AIが作成しました)

神田の大書店で目にした『学生の生態』という書籍を端緒に、人間を生物学的な観察対象へと矮小化する現代の言説や文学の傾向を論じる。著者は、学生を自発的な意志と精神を持つ生身の人間として捉えず、自然科学の対象のように扱う題名の違和感を指摘する。人間を単なる生物として単純化し、その生活を客観的に観察する現代文化の風潮に対し、文学が人間らしい複雑な精神や社会との関わりをいかに回復すべきかを考察する。

宮本百合子

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🎧 生態の流行 / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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二ヵ月ばかり前の或る日、神田の大書店の新刊書台のあたりを歩いていたら、ふと「学生の生態」という本が眼に映った。おや、生態ばやりで、こんなジャーナリスティックな模倣があらわれていると半ば苦笑の心持もあってその本を手にとってみたら、それはどこかの場当りなブック・メイカアがこしらえているものではなくて、官立大学の学生主事をしている人が、そういう職名もちゃんと肩書きに明記して著している本であった。

このことは、忘れることの出来ない印象となって今日も私の心にのこされている。学生主事という仕事が本来どういう立て前で設けられているのかよくわからないが、ともかく学生生活の各面に接触をもつべき立場なのだろう。従って「結婚の生態」が現代らしい一つの流行を示していることも、元より知られていただろう。この種の著書の題に、その通俗な流行作品の字をそのままもって来て使う神経というものは、文学の感覚から遠いばかりでなく、学者らしさ或は先生らしさと云われて来ているものからも大分距離があるように思える。文学の感覚が活々としているなら、流行の元祖のその小説が、日本の現代文学にどういう在りようをしているかということの理解から、その同じ字を使う気にはなれなそうである。学者らしく又先生らしい心持の勘には、今日のジャーナリズムの相当荒っぽい物音がそのまま疑問もなく谺することは無さそうに思える。著者にとりてこれは不幸な偶然であるのかもしれないけれども、第三者の心には、今日の日本の文化の肌理はこうなって来ているかという、一種の感慨を深くさせるのであった。

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