TRENDIA CLASSIC

竜田丸の中毒事件

宮本百合子

1 / 2

この二三日来の新聞で龍田丸の中毒事件が私たちを驚かしている。やっと故国へ近づいて明日は入港という時に卵焼の中毒で、九人もの人が僅かの時間のうちに相ついで死んで行ったし、病気でいる人が百二十五名だということは、これまで聞いたことのなかった不幸な出来ごとである。昨晩の夕刊はこの悲しい入港とその同じ船にのって帰って来た名士たちの帰朝談とを報じていた。船の医者やその他の責任者たちはもとより、心から遺憾の意を表してはいるのだろうが、私たち一般のものの感情には何かまだそこに表現され足りないものがあると感じられた。船医にしろ、原因は卵焼の中毒であると、明らかに認めながら「けれども、永い航海の疲労と三日来の猛暑が船客達の胃腸を弱らせていたからです」と語っている。

このけれどもという短い言葉はその人たちを気の毒に思っている私たちの心もちに固くふれて来る響きである。胃腸が弱っているにしろ、その卵が腐っていなければ、あれほど猛烈な中毒を引おこすことは決してなかったろう。司厨長は卵焼をこしらえた時間、冷蔵庫に入れた時間、皿に入れた時間を事務的に正確にのべているが、材料になった卵が、新鮮なものであったかという断言はどこにもしていない。龍田丸は三百余名を乗せていたそうだが、中二百余名は三等船客だったそうだ。その半数が中毒にかかったわけである。切迫した国際情勢のために、着のみ着のまま出発して来た人たちで、心身の疲労はいちじるしかったと、それも不幸の一つの原因としていわれているが、もしそれがそんなにはっきり誰の目にも映じているとしたら、新鮮だと断言出来ないような卵をきまった船の献立だからといって、形式的に食わせる不親切な心持を感じる。

宮本百合子の他の作品