便乗の図絵
本文約9,600字 ・ 読了時間 約20分
あらすじ(AIが作成しました)
侵略戦争遂行のための強権的な翼賛政治が生んだ「便乗」という言葉の変遷と実態を論じる。戦争遂行で利益を得たのは一部の独占資本家のみであり、勤労者は搾取の対象であった。戦後においても独占資本と権力者による新たな便乗構造が続き、言論統制や増税が人民生活を圧迫する。自らの力で独立と生産、文化の確立をめざし、権力に翻弄されない人民の姿勢こそが必要であると説く。
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便乗ということばが、わたしたちの日常にあらわれたのはいつごろからのことだったろうか。
日本の天皇制権力が満州・中国と侵略をすすめて、世間の輿論も、議会の討論も邪魔と考えはじめてから、日本全国には政治がなくなって強権の専断ばかりになった。その時分、翼賛会ができた。議会は政府案に決して反対しないという条件の翼賛議会になり、侵略戦争賛成、種々の人権抑圧法賛成、いくらでも軍事費をつかうこと賛成と、侵略戦争のためのロボット議員が推薦候補で議員になった。便乗という卑屈なくせに利慾のまなこは八方にくばっている言葉が生れたのはその頃のことであった。
ちょうど便乗という言葉がはやりはじめた時分、これまで東京の街々にあふれていたやすいタクシーもだんだん姿を消しはじめた。どこかで落ち合った知人が自動車をもっていたりすると、君、どこか都合がいいところまでのって行ったらと自動車をもっている人は友人にそうすすめたし、すすめられた友人は、じゃ、便乗させて貰うか、とのって行った。
こんな場合につかわれた便乗は、そのころはやり出した便乗ということばの、最も正統な、また最も素朴な使いかたであった。便乗という言葉は、バスにのりおくれまい、という表現と前後した。翼賛議員になる時勢のバスにのりおくれまいとあわてる人々の姿をからかい気味に形容したことばであった。
ところで、便乗という言葉はひところあれほどひろくはやったが、真実のところでは、日本の人口のどれだけの部分が、その人たちの生活の現実で時勢に便乗したのであったろうか。便乗という言葉が日本の津々浦々にまではやったのにくらべて、現実に便乗してしっかり何かの利得を掴んだという人の数がすくないのに、むしろびっくりしはしないだろうか。