革鞄の怪
本文約10,200字 ・ 読了時間 約21分
あらすじ(AIが作成しました)
長野の旅館で同室となった神経衰弱気味の男は、自身が大切に抱える古びた革鞄の中から声がすると騒ぎ出す。飛騨の山中へ転任する郵便局員だという男は、汽車で居合わせた女性の着物の袖が革鞄の口に挟まったことをきっかけに、妻と子の白骨が鞄の中に納められていることを吐露する。周囲が混乱する中、女性は自ら袖を裂いて別れを告げ、男は去りゆく汽車を見送る。亡き家族への執着を秘めた革鞄を巡る奇妙な道中を描く。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
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一
「そんな事があるものですか。」
「いや、まったくだから変なんです。馬鹿々々しい、何、詰らないと思う後から声がします。」
「声がします。」
「確かに聞えるんです。」
と云った。私たち二人は、その晩、長野の町の一大構の旅館の奥の、母屋から板廊下を遠く隔てた離座敷らしい十畳の広間に泊った。
はじめ、停車場から俥を二台で乗着けた時、帳場の若いものが、
「いらっしゃい、どうぞこちらへ。」
で、上靴を穿かせて、つるつるする広い取着の二階へ導いたのであるが、そこから、も一ツつかつかと階子段を上って行くので、連の男は一段踏掛けながら慌しく云った。
「三階か。」
「へい、四階でございます。」と横に開いて揉手をする。
「そいつは堪らんな、下座敷は無いか。――貴方はいかがです。」
途中で見た上阪の中途に、ばりばりと月に凍てた廻縁の総硝子。紅色の屋号の電燈が怪しき流星のごとき光を放つ。峰から見透しに高い四階は落着かない。
「私も下が可い。」
「しますると、お気に入りますかどうでございましょうか。ちとその古びておりますので。他には唯今どうも、へい、へい。」
「古くっても構わん。」
とにかく、座敷はあるので、やっと安心したように言った。
人の事は云われないが、連の男も、身体つきから様子、言語、肩の瘠せた処、色沢の悪いのなど、第一、屋財、家財、身上ありたけを詰込んだ、と自ら称える古革鞄の、象を胴切りにしたような格外の大さで、しかもぼやけた工合が、どう見ても神経衰弱というのに違いない。
何と……そして、この革鞄の中で声がする、と夜中に騒ぎ出したろうではないか。
私は枕を擡げずにはいられなかった。
時に、当人は、もう蒲団から摺出して、茶縞に浴衣を襲ねた寝着の扮装で、ごつごつして、寒さは寒し、もも尻になって、肩を怒らし、腕組をして、真四角。
で、二間の――これには掛ものが掛けてなかった――床の間を見詰めている。そこに件の大革鞄があるのである。
白ぼけた上へ、ドス黒くて、その身上ありたけだという、だふりと膨だみを揺った形が、元来、仔細の無い事はなかった。