灯明之巻
本文約23,200字 ・ 読了時間 約47分
あらすじ(AIが作成しました)
俳人の小県凡杯は、雨の降る松島への旅の帰路、荒れ果てた古寺の墓地で一人の老爺に出会う。凡杯はそこで偶然、かつて知り合った女・お誓の名が記された扇子を目にし、彼女の身の上を案じて動揺する。周囲で起きる奇妙な噂話や白鷺への想いを老爺に語りながら、凡杯は彼女の行方と自身の抱く不安な予感の狭間で、古寺の静寂の中に不思議な情念と猟奇的な空気を肌で感じていく。この作品は、旅先で遭遇した古寺での対話から始まる、怪異と美しさが交錯する心象風景を描く。
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一
「やあ、やまかがしや蝮が居るぞう、あっけえやつだ、気をつけさっせえ。」
「ええ。」
何と、足許の草へ鎌首が出たように、立すくみになったのは、薩摩絣の単衣、藍鼠無地の絽の羽織で、身軽に出立った、都会かららしい、旅の客。――近頃は、東京でも地方でも、まだ時季が早いのに、慌てもののせいか、それとも値段が安いためか、道中の晴の麦稈帽。これが真新しいので、ざっと、年よりは少く見える、そのかわりどことなく人体に貫目のないのが、吃驚した息もつかず、声を継いで、
「驚いたなあ、蝮は弱ったなあ。」
と帽子の鍔を――薄曇りで、空は一面に陰気なかわりに、まぶしくない――仰向けに崖の上を仰いで、いま野良声を放った、崖縁にのそりと突立つ、七十余りの爺さんを視ながら、蝮は弱ったな、と弱った。が、実は蛇ばかりか、蜥蜴でも百足でも、怯えそうな、据らない腰つきで、
「大変だ、にょろにょろ居るかーい。」
「はああ、あアに、そんなでもねえがなし、ちょくちょく、鎌首をつん出すでい、気をつけさっせるがよかんべでの。」
「お爺さん、おい、お爺さん。」
「あんだなし。」
と、谷へ返答だまを打込みながら、鼻から煙を吹上げる。
「煙草銭ぐらい心得るよ、煙草銭を。だからここまで下りて来て、草生の中を連戻してくれないか。またこの荒墓……」
と云いかけて、
「その何だ。……上の寺の人だと、悪いんだが、まったく、これは荒れているね。卵塔場へ、深入りはしないからよかったけれど、今のを聞いては、足がすくんで動かれないよ。」
「ははははは。」
鼻のさきに漂う煙が、その頸窪のあたりに、古寺の破廂を、なめくじのように這った。
「弱え人だあ。」
「頼むよ――こっちは名僧でも何でもないが、爺さん、爺さんを……導きの山の神と思うから。」
「はて、勿体もねえ、とんだことを言うなっす。」
と両つ提の――もうこの頃では、山の爺が喫む煙草がバットで差支えないのだけれど、事実を報道する――根附の処を、独鈷のように振りながら、煙管を手弄りつつ、ぶらりと降りたが、股引の足拵えだし、腰達者に、ずかずか……と、もう寄った。
「いや、御苦労。」