どんな作家でも、はじめて作品が雑誌なら雑誌に発表されたという意味での処女作のほかに、ほんとの処女作というのもおかしいが誰にもよまれず、永年のうちには書いた自分自身さえそのことは忘れてしまっているというような処女作がきっとあるだろうと思う。
自分の公認処女作は「貧しき人々の群」というので大正五年に『中央公論』に発表された。
福島の田舎におばあさんが独りで暮していた。小学校の一年ぐらいから夏休みになると、海老茶の袴をはいて、その頃は一つ駅でも五分も十分も停る三等列車にのって、窓枠でハンカチに包んだ氷をかいてはしゃぶりながら、その田舎へ出かけて行った。
毎年毎年、その東北の村で見ていた印象がたたまって小説が書けた。
はじめは「農村」という題で五六百枚あった。あとで刈りこんで二百枚ぐらいにして「貧しき人々の群」という題にしたんだ。
日本は人道主義時代で、「白樺」の連中がさかんにトルストイ、ロマン・ローラン、ロダンなどを紹介し、芸術の全部に人類、愛、正義、という文字が鳴りひびいていた時代だ。
当然、十八歳の作者は、その影響のもとにある。その小説が、いわゆる恋愛ものでないのが、当時一般の注意をひいた。
けれども、今日みれば、リアリスティックな厚みと素朴な熱誠がその作品のネウチで、農村と農民の生活はどこまでも、幼い人道主義的観点から描かれている。農村の窮乏の資本主義による経済的背景、階級としての農民などという認識は、どこにもない。つまり、断然過去の作品となったものだ。
だが、現在の自分とすると、この作品にある感じがつながっている。その小説のおしまいに、子供の作者は叫んでいる。
「悲しい兄弟よ、さようなら。今暫くの間左様なら! 今に自分はもっとあなたがたの役に立つものとなって、再び会おう!」
そういう意味のことを叫んでいる。
その後数年、自分はブルジョア文学の中で、この世の中に合理的な正義ある生活をうちたてることは、個人個人の自己完成によって実現されるだろうというふうに考えていた。