映画
本文約2,400字 ・ 読了時間 約5分
あらすじ(AIが作成しました)
雨の降る夕方、銀映座で映画を観るために列に並ぶ私は、自身の行動を省みて心に抱える落ち着かない気分を慰めるように、かつてモスクワでひとり映画館へ通った日々を回想する。映画館の待合室で音楽を聴いたり、人々の列に混じって歩いたりした記憶は、現在の日本での映画鑑賞の時間と重なる。本書は、映画を観るという何気ない日常の行為を通じて、記憶の中に残る異国の風景や過去の体験と現在が交錯する様を繊細に綴る。
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雨傘をさし、爪革のかかった下駄をはいて、小さい本の包みをかかえながら、私は濡れた鋪道を歩いていた。夕方七時すぎごろで、その日は朝からの雨であった。私は、その夜手許におかなければならない本があったし、かたがたうちにいるのがいやで、外に出て来たのであった。自分が親切と思ってしたこと、そのことが思っていたような結果としてはあらわれず、自分が自分の親切に甘えたということばかりが思い当るような気持のことがあって、私はうちにいたくなかった。そして、雨の外を歩いていた。
いろいろの心持を感じながら歩いていて、或る通りのわきに出たら、そこの映画館の方で頻りにベルが鳴りつづけている。割引のしらせである。
思いついて、私は一つの広い改正道路を横切って、銀映座の前へ行った。雨傘をさして外套の襟などを立てた黒い人の列が、そう大して人通りのない横丁のこっちの端までのびている。列のなかには派手なマフラーをした若い女のひともいたりして、傘が傾くと、別に連れもないらしい白い顔がぽつねんと見える。まだ切符は売り出していないのであった。
その時間からは、「女人哀愁」というのとニュースとが見られるわけである。私は特別にその映画を目ざして行ったのではなかったが、観てもいいという心持で、列の最後の方にまわって傘をさしたまま往来に立っていた。
「ちょいと、まだ大丈夫よ! ホラ、見なさいってば……」
その横丁へどこかの家の裏口が向っていて、そこのガラス戸が開き、そこから女の首がのぞき、高い声で姿の見えない誰かに云っている。その女の顔は、うしろから灯かげがさしてアスファルトの上に落ちているから、こっちからは見えない。
一番おしまいであった私の後に、若くもない男が又来て列についた。人数は疎らだのに、さしている傘ばかりが重なり合うようで、猶暫く立っていたら、その横丁へ自動車が入って来て、おとなしい人の列を道路に沿ってたてに押しつけてしまった。
私は、一人でそんな風にして偶然映画を観ることがよくあるが、その気分は気のあった友達とつれ立ったりして観る時とまるきり違って面白いものがある。