稚いが地味でよい
本文約530字 ・ 読了時間 約2分
あらすじ(AIが作成しました)
農村の生活を題材としたリアリスティックな小説に対し、その構成や人物描写の在り方を論じる。父親が民主的な活動へと変容していく過程での言葉遣いの変化や、妹娘が旗を学校へ持ち出すという描写の不自然さを指摘しつつ、地味ながらも堅実に積み上げられた物語の構築について評価を綴る。作者の未熟さを認めつつも、農村生活をありのままに捉えようとする姿勢を肯定的に評価し、習作としての意義と今後の可能性を見出す評論文である。
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作者が添えた手紙でことわっている通り、まだ稚い作品ではあるけれどもリアリスティックな文学の筋の上に立っている。習作ではあるが『大衆クラブ』などにのせれば同感をもってよむひとは少くないだろうと思った。
作者の心持が稚くても、ふっくりとしていて、描かれている農村の生活の細目も自然にうけとれた。ただし、主人公の青年の父親が、農民の生活を不安にする現実から、段々民主的な働きに目を向けて来てやがて積極的になってからのところが、割合安易にかけてしまった。アカハタをよみはじめ、黙って考えをかえてゆくあたりは、さもあろうと肯けるが、積極的になってから、あの父親は言葉まで急に若がえりすぎてしまってはいまいか。妹娘が兄のかくしておいたハタを紙型用にもち出して同級生に、とやかくいわれる場面はおもしろい。しかし、あとでアカハタが村へもっと入るようになってほかの娘も紙型用に学校へもって来るというところは、どうだろうか。何となし読んで、ひっかかった。アカハタがそれほど村に入れば、アカハタを大事にとっておくという心持も、それだけ村にひろがって行っているのが自然だろうのにと思った。稚いといっても小説は地味に大体このような組立てで書かれていってよいものだと思う。
〔一九四八年六月〕
完