TRENDIA CLASSIC

序(『歌声よ、おこれ』)

宮本百合子

1 / 2

こんにち、わたしたちの生活と文学との建設のために、いくつもの大きい課題があらわれて来ている。苦しく、いきどおろしい人間理性否定の暗黒がすぎて、明るい光のさしそめるときになったが、過去十数年の惨澹たる傷あとは、日本の知性の上から、そう急に消え去らない。日本の現代文学の苦痛は、こんなに急なテムポで世界の歴史は前進しているのに、戦争中萎縮させられた人間性とその創造力がそれにふさわしい強壮な恢復をおくらしていることであると思う。

「歌声よ、おこれ」以下、この本の前半にあつめられた評論は、それぞれの角度から、日本のすべての人がおかれた非人間的なきのうをかえりみ、きょうを眺め、明日の可能を歴史の現実のうちに発見しようとしたものである。文学を中心として語られているけれども、広い意味で人間復興そのものの課題に立っている。

第二部をなす作家論は、大体これまでの十二三年の間のそれぞれの時期にかかれたものである。これらの作家論は、当時の日本の権力が戦争推進のためどんなに現実を歪めた観念を社会のあらゆる面に流布しはじめたかということと、近代市民社会の生活史をもたない日本の文化人が自身の内なる封建性と非社会性によってどんなにその強権に屈伏したか、それらとのたたかいは、どんなに困難であったかということを示している。

これらの作家論のなかで、「山本有三氏の境地」などは、こんにち読むと、いくらか甘いものに見えてきた。これが書かれたのちの人及び作家としての山本有三の動きには、外面にあらわれない政治的な複雑さもあったらしく判断される。近い将来にもっとずっとつっこんだ立体的な山本有三論がかかれなければならない。

宮本百合子の他の作品