本文へ移動
TORENDIA

斯ういう気持

本文約4,300字 ・ 読了時間 約9分

あらすじ(AIが作成しました)

ある日、小銭入れを紛失した愛と夫の禎一は、前夜に部屋へ訪れた知人の小幡照子を疑う。しかし、後日来訪した照子が社から不正に金を引き出していた経験を悪びれず語る姿を目にし、愛は彼女の超道徳的とも言える自由な気質を理解する。当初抱いていた疑念による不快感は消え去り、愛は不思議な愉快さを感じながら彼女の話に聞き入る。

宮本百合子

速度
🎧 斯ういう気持 / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 6

「――春になると埃っぽいな――今日風呂が立つかい」

「そうね、どうしようかと思ってるのよ、少し風が強いから」

「じゃあ一寸行って来よう」

「立ててもよくてよ」

「行って来る方が雑作ない」

愛が風呂場で石鹸箱をタウルに包んで居る間に、禎一は二階へ蟇口をとりに登った。彼は軈て、ドタドタ勢よく階子をかけ降りざま、玄関に出た。

「小銭がなあいよ」

愛は、

「偉い元気!」

と笑い乍ら、茶箪笥の横にあった筈の自分の銀貨入れをみつけた。覚え違いと見え、二三枚畳んで置いてあった新聞の間にも見当らない。下駄を穿き、

「まだかい」

とせき立てる。愛は戸棚の、小さい箱根細工の箱から、銀貨、白銅とりまぜて良人の拡げた掌の上にチリン、チリンと一つずつ落した。

「これがお風呂。これが三助。――これが――お土産」

禎一は、いい気持そうに髪の毛をしめらせ、程なく帰って来た。彼は、たっぷりした奇麗な桃を一束買って来た。

「まあ、いい花! まるで春らしい形恰ねこの桃――でも、お金足りたの? あれっぽっちで」

「十銭、花屋の爺さんに借金して来たのさ、夕方でも出たら忘れずに返してやっとくれ」

花好きの愛は、其を大きな赤絵の壺にさして椽側の籐卓子に飾った。外光に近く置かれると、ほんのり端々で紅らんだ白桃の花は、ことの外美しかった。彼等は平和に其を眺め乍ら茶をのんだ。

五時頃、晩の買物に出かけようとして、愛はやっと忘れて居た金入れのことを思い出した。先刻、せき立てられてそのままにして仕舞った新聞の間を、丁寧に調べた。――無い。直ぐわかるつもりで膝をついて居た彼女は、ちゃんと畳の上に坐り込んだ。更に念を入れて、茶箪笥の引出しまで見た。やはり無い。……

愛は、丸まっちい顔に困った表情を浮べた。彼女は、生れつき、決して行き届いた始末屋ではなかった。彼女が、ここに置いたと思い定めて居た細々したものが、ここにはなくて案外な隅っこで見つかることはこれ迄も珍しくなかった。愛は立ち上り乍ら

「どこだろう……」

宮本百合子の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本