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TORENDIA

無題(四)

本文約1,500字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

ジョージ・ギッシングの『ヘンリー・ライクロフトの私記』を取り上げ、二つの視点から文学的側面と英国民の国民性を論じる。先人の文への純粋な愛着を示す一方で、先人の表現をなぞる第二流の限界を指摘する。さらに、英国人が偽善的ではなくパリサイ的であるとする指摘を分析し、自国の道徳的優越を盲信する国民心理を解き明かす。他国のみならず自国にも通じるこの独善的な意識のあり方を、冷静に批評し綴る。

宮本百合子

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🎧 無題(四) / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

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ヘンリー・ライクロフトの私記の中に、

自分は、斯うやって卓子の上にある蜜も、蜜であるが故に喜んで味わう――ジョンソンが云った通り、文学的素養のある人間と無い人間とは、生者と死者ほどの違いがある。この蜜についても、若し私がハイメッタスやハイブラをちっとも知らなかったら、自分にとって何だろう、と云って居る。蝙蝠が夕暮とぶのを見る面白さも、闇夜の道に梟の鳴くのを聞く満足も、皆彼等が詩の世界に現れるものだからだ、と。

私は自らギッシングの心を二様に考えさせられた。

一方の考。――彼は本当に純な尊い文学愛好者であった。自分が文学者として如何うだと云う批評や野心等は抜きにして、青年のような熾な愛、帰依で先人の文を追想し得た尊い心情の持ち主であると云う感服。

他の一方は。――彼も、ヴィクトリア時代の考証癖を脱し切れず、自分がこれはどう感じ見るかと思うより先に、シェークスピアやホーマーの文句を思い出し、そのものを徹し、その描写にまとめて、自分の直観に頼らない、第二流文学者――否、芸術家的素質しか持たなかったか、と云う些の物足りなさ、惜しさ。

ヘンリー・ライクロフトの私記。p. 181.

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