TRENDIA CLASSIC

清見寺の鐘声

高山樗牛

1 / 2

夜半のねざめに鐘の音ひゞきぬ。おもへばわれは清見寺のふもとにさすらへる身ぞ。ゆかしの鐘の音や。

この鐘きかむとて、われ六とせの春秋をあだにくらしき。うれたくもたのしき、今のわが身かな。いざやおもひのまゝに聽きあかむ。

秋深うして萬山きばみ落つ。枕をそばだつれば野に悲しき聲す。あはれ鐘の音、わづらひの胸にもの思へとや、この世ならぬひゞきを、われいかにきくべき。怪しきかな、物おもふとしもあらなくに、いつしかわが頬に涙ながれぬ。

間どほなる鐘の音はそのはじめの響きを終りぬ。われは枕によりて消ゆるひゞきのゆくへもしらず思ひ入りぬ。

第二の鐘聲起こりぬ。夜はいよ/\しめやかにして、ひゞきはいよ/\冴えたり。山をかすめ、海をわたり、一たびは高く、一たびはひくく、絶えむとしてまたつゞき、沈まむとしてはまたうかぶ。天地の律呂か、自然の呼吸か、隱としていためるところあるが如し。想へばわづらひはわが上のみにはあらざりけるよ。あやしきかな、わが胸は鐘のひゞきと共にあへぐが如く波うちぬ。

おもひにたへで、われは戸をおしあけて磯ちかく歩みよりぬ。十日あまりの月あかき夜半なりき。三保の入江にけぶり立ち、有渡の山かげおぼろにして見えわかず、袖師、清水の長汀夢の如くかすみたり。世にもうるはしきけしきかな。われは磯邊の石に打ちよりてこしかた遠く思ひかへしぬ。

おもへば、はや六歳のむかしとなりぬ、われ身にわづらひありて、しばらく此地に客たりき。清見寺の鐘の音に送り迎へられし夕べあしたの幾そたび、三保の松原になきあかしゝ月あかき一夜は、げに見はてぬ夢の恨めしきふし多かりき。

六とせは流水の如く去りて、人は春ごとに老いぬ。清見潟の風光むかしながらにして幾度となく夜半の夢に入れど、身世怱忙として俄に風騷の客たり難し。われ常にこれを恨みとしき。

高山樗牛の他の作品