本文へ移動
TORENDIA

湯ヶ島の数日

本文約1,900字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

十二月二十七日から翌年正月二日まで、伊豆の温泉地・落合楼で過ごす様子を綴る。東京から慌ただしく出発し、湯ヶ島の宿に到着した旅人は、山に囲まれた自然豊かな風景と、隣室から聞こえる尺八や三味線の音色に触れる。都会の喧騒とは対照的な、ひっそりとした土地の正月や、古タイヤを転がして遊ぶ子供たちの姿、南画を思わせる冬の伊豆の景色など、土地の風土と独特の生活感情を冷静な筆致で詳細に描写していく。

宮本百合子

速度
🎧 湯ヶ島の数日 / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 3

十二月二十七日 湯ヶ島へ出立。  すっかり仕度が出来上ったが余り時間がない。俥でことこと行くよりはと、フダーヤ老松町の通へ空車を捕えに出た。早朝なのでなし。かえって、一台だけ来た人力車にのって先へ出かけ、自分二十分も待たされて出発。列車は十時五十分に東京駅を出るというのに、飯田橋で時計を見ると、十五分しかない。自働車にのりかえ、やっと車室に乗込んだら直ぐ発車という程度で間に合った。

隣席に一青年在り。サンデー毎日らしいものの小説を読む。ただ読むのではない。色鉛筆を片手に、無駄と思うところ(らしい)数行ぐるりとしるしをつけ、校正のようにトルと記入し、よいと思うところ(らしい)には傍線を附す。至極深刻な表情を保って居る。

修善寺より乗合自働車。女の客引が客を奪い合う様子、昔の宿場よろしくの光景なり。然し、どれも婆。

すっかり夜になり、自働車を降りて、更に落合楼に下る急な坂路にかかると、思いがけず正面に輪廓丸い二連の山、龍子の墨絵のようにマッシヴに迫り、こわい程遙か底に宿の小さい灯かげ、川瀬の響あり。十二夜の月を背負った山の真黒で力強い印象。目まいがした。

落合楼、川に挾まれ、温泉宿らしくなくさっぱりしてよろし。部屋もよし。但、二部屋とれるかどうかは疑問だ。餅搗きの音がした。

十二月二十八日  目が醒めると、隣に尺八を吹く人あり。少し悲観。部屋を、直ぐ横の六畳二つにして貰う。

実に、すばらしい天気。碧い空、日光を吸って居る暖かそうな錆金色の枯草山、その枯草まじりに、鮮やかに紅葉したまま散りもせぬ蔦類。細かく風にそよぐ竹藪、蒼々とした杉木立、柑橘類、大島椿。伊豆はよいところという感銘深し。日本のなごやかな錦の配色など――金地に朱、黄、萌黄、茶、緑などあしらった――は、斯那自然の色調から生れたものと思う。蜜柑、橙々の枝もたわわに実ったのを見たら、岡本かの子の歌を連想した。南画的樹木多し。私達の部屋の障子をあけると大椎樹の下に、宿の吊橋が見える。

宮本百合子の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本