序
「或は人を天上に揚げ或は天を此土に下す」と詩の理想は即是也。詩は閑人の囈語に非ず、詩は彫虫篆刻の末技に非ず。既往數百年間國詩の經歴に關しては余將た何をか曰はん。思ふに所謂新躰詩の世に出でゝより僅に十餘年、今日其穉態笑ふべきは自然の數なり。然れども歳月遷り文運進まば其不完之を將來に必すべからず。詩は國民の精髓なり、大國民にして大詩篇なきもの未だ之あらず。本邦の前途をして多望ならしめば、本邦詩界の前途亦多望ならずんばあらず。本書收むる所余が新舊の作四十餘篇素より一として詩の名稱を享受するに足るものあらず。只一片の微衷、國詩の發達に關して纖芥の貢資たるを得ば幸のみ。著者不敏と雖ども自ら僭して詩人と爲すの愚を學ぶものに非ず。
東京に於て 明治三十二年三月土井林吉
例言
一、本書に收めたる諸篇の大多數は嘗て「帝國文學」及び「反省雜誌」に掲載せるもの、今帝國文學會及び反省雜誌社の許諾に因りて茲に轉載するを得たり、謹んで兩社に謝す。 一、詩を以て遊戲と爲し閑文字と爲し彫虫篆刻の末技と爲すは古來の漸なり、是弊敗れずんば眞詩決して起らじ。一般讀者の詩に對する根本思想を刷新するは今日國詩發達の要素なるを信ず。附録は泰西諸大家の詩論若くは詩人論なり。素是諸書漫讀の際偶然抄譯し置けるもの、故に精を窮め理を竭せるには非ずと雖も今日の讀詩界に小補なくんばあらず。敢て切に江湖の精讀を請ふ。
希望
沖の汐風吹きあれて
白波いたくほゆるとき、
夕月波にしづむとき、
黒暗よもを襲ふとき、
空のあなたにわが舟を
導く星の光あり。
ながき我世の夢さめて
むくろの土に返るとき、
心のなやみ終るとき、
罪のほだしの解くるとき、
墓のあなたに我魂を
導びく神の御聲あり。
嘆き、わづらひ、くるしみの
海にいのちの舟うけて
夢にも泣くか塵の子よ、
浮世の波の仇騷ぎ
雨風いかにあらぶとも
忍べ、とこよの花にほふ――
港入江の春告げて、
流るゝ川に言葉あり、
燃ゆる焔に思想あり、
空行く雲に啓示あり、
夜半の嵐に諫誡あり、
人の心に希望あり。
雲の歌
ゆふべは崑崙の谷の底
けさは芙蓉の峯の上
萬里の鵬の行末も
馳けり窮めむ路遠み
無限のあらしわが翼
空の大うみわが旅路。
空の大海星のさと