話に聞いた近藤勇
本文約7,500字 ・ 読了時間 約15分
あらすじ(AIが作成しました)
近藤勇の生涯と人物像を論じる。新徴組の成り立ちや清河八郎の浪士募集を経て、京都で会津藩を後ろ盾に新選組を率いた動向を描く。芹沢鴨の暗殺といった陰険な手段や、甲府へ向かう道中で陣笠や御馳走に満足し、戦局の判断を誤るなど、その器量を批判的に分析する。著者は、当時の幕府という権威を盾にし、小才を弄して立ち回った人物を現代で評価する風潮に対し、深い憂慮を表明する。
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この頃はとんだ人間がはやるので、その一人は唐人お吉という淫売女、早く外国人に春を鬻いだということが景物になっている。売淫が景物になるような人間は、あまり披露されては迷惑であります。が、これは別にお話し申すこととして、それとともに持て囃されている近藤勇、これは淫売を景物にするほどではないが、決して立派な代物ではない。近藤については、別段調べたのではありませんが、かねて聞いておりますところによって、その人柄のおおよそは知れております。
新徴組と申すのは、文久三年の五月からの名前で、その前には浪士取扱というものに属しておったのであります。これは清河八郎が画策して出来た浪人団体でありまして、前年の十二月に、小川町の講武所、それが後に筋違外へ移りまして、近い頃まで芸者屋などがありました。明治の中頃には、講武所芸者といって、ちょっと知られてもおりました。まだそこへ移りません小川町に講武所がありました時に、幕府は諸家の家来及び浪人で、武芸のあるものを召集して、この講武所の教官にしたのであります。幕府が浪人を採用することは、まことに久しぶりのことでありまして、江戸入部以後、これほど大きく浪人召集の手をひろげたことはなかったでありましょう。もっとも徳川氏が江戸へ入って来ました時分には、随分多くの浪人を採用しておりましたが、その後はほとんど浪人を採用することはなかったと申していいくらいであります。