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TORENDIA

物貰ひの話

本文約11,800字 ・ 読了時間 約24分

あらすじ(AIが作成しました)

江戸時代の物貰いを、非人、乞胸、願人坊主の三種に分類し、それぞれの身分や社会的背景を綴る。世襲の非人であるせぶりや、身を持ち崩した世間師の実態、良民に復帰するための足洗いの法式について解説する。また、戸塚の大金玉といった有名な乞食の逸話や、小屋者とは異なる寺社奉行支配下の願人坊主など、江戸の路傍で繰り広げられた多様な物貰いのあり方を詳述し、江戸社会の一断面を描き出す。

三田村鳶魚

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今度は物貰のことを御話するつもりです。物貰には三種あるので、第一は非人から出るやつ、第二は乞胸から出るやつ、第三は願人坊主、この三種からいろ/\なことになつて居ります。

せぶりと世間師

先づ非人から出る物貰から申しますと、非人から出る物貰にも亦二種ある。一つは「せぶり」といふ、これはどんな字を書くか知りません。もう一つは世間師。これはどういふ違ひがあるかと云ひますと、「せぶり」といふのは代々の非人で、これは良民に還ることが出來ないものです。この「せぶり」は胸に袋を懸けて、袋の先を括つて三角形にするのがしるしになつてゐる。物貰の中では御歴々のわけです。この連中は野宿をしますから、一人前の「せぶり」になる頃は齒が白い。世間師の方は身を持崩しで、自分で乞食の群に落ちたやつで、足を洗へば何時でも良民に還れるのです。世間師の方は野宿が出來ない。若し野宿すれば「せぶり」がひどい目に遭はせる。私刑を加へるわけです。ですからおあしがあれば木賃宿に泊る。さもなければ堂とか、社とかいふものゝ下に行つて寢る。新非人だの、菰かぶり、宿なしだのといふのは世間師の方です。よく吾々の子供の時分に、そんな事をすると今にお菰になるよ、なんて云はれた。それもこの世間師の事なのです。

非人の話は前にちよつとしたやうですが、非人小屋といふものは寛文以來ずつとある稱へで、文化三年頃の記録には御救小屋と書いてある。もう少し前を見ると、天明四年に小網町の米問屋の兵庫屋が粥施行をやつた。その時に小屋を二つ建てゝ、一つは非人小屋、一つは素人小屋と分けた。物貰でも腹からの者と、おちぶれた者との二つに分けたので、素人といふのもをかしな話ですが、素人と云つてゐます。窮民とか罹災民とかいふ意味なのでせう。勿論非人の仲間に入つてゐない、新非人といふのも一時の物貰といふ心持があるらしい。新非人といふ言葉が記録になくなつたことは實に喜ばしい。

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