日記
本文約101,000字 ・ 読了時間 約202分
あらすじ(AIが作成しました)
作家の日常と文学的思索を綴る本作は、日記形式で生活の細部や執筆の苦闘を描く。男性作家の視点による女性観への疑問を抱き、自身の作品の書き直しに心身を削りながら、志賀直哉ら先人の芸術論に触れ自らの表現を模索する。家庭の雑事や家政婦とのやり取り、病気療養中の夫との共同生活、そして社会情勢に対する独自の批評眼を通し、芸術家として生きることの厳しさと、生活と創作が密接に結びつく日常の風景をありのままに記録する。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
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一月一日(日曜)晴 昨夜、二時頃吉田さんの処から帰って来ると、神保町で停電し、とうとう春日町まで歩いた。あめがポツポツ降り出して来たのでいそいで歩き、ひどく疲れる。
眠ったのは五時頃だろうか、今朝は、四方拝のおことわりで、早く起きたので、半分頭が曇って居る。何も徹夜の覚悟をしなくてもよさそうなのに妙なものなり。
林町では、両親、スエ子と常盤館に行かれたので、自分の苦痛は余程軽められた。年始にAの行かれないこと、若し行って誰かに会ってきかれるかと思うと、切角行っても、いそいでかえらなければならないこと、其等が、先から自分には私に苦となって居た。それが、しないですむとは何とよかったことだろう。去年より心持が家、生活に落付いて居る故か、さほど新奇な心持もしない。雑誌を読む。此頃の疑問。男性の芸術家は女性を描く、これにオーソリティーを認める。而も、何故、女の描いた男性は認められないのか、つまり女性である自分は、女のことほか書けないと定って居るものなのか? と云うことである。根本に果して、女性の精神で描き得ないものがあるのだろうか。
此も元日のつづき。
去年の日記に所謂九星の表がついて居た。
元から厄年に不幸に会いつづけて居る自分は、或運命を感じて居るので、その星にも興味を感じ、今年の九星表、占のようなものを先に買った。ところが、何でも、今年自分の運は、あまりよくないように書かれて居たらしい。ところが、元旦に雪と予報してあるのが、昨夜暁から今朝、降積ったのを見出した。此がきっぱり当るとどうも万事当りそうで癪だ。ところが、日が出てからは、ちっとも降らず夕方は日さえ見えたので、とにかくそこに幾分の余裕はつく。今日、雪だとは云えない。昨夜雪だったのだ。と、微妙な心理。