TRENDIA CLASSIC
慶応義塾の記
福沢諭吉
1 / 3
今ここに会社を立てて義塾を創め、同志諸子、相ともに講究切磋し、もって洋学に従事するや、事、もと私にあらず、広くこれを世に公にし、士民を問わずいやしくも志あるものをして来学せしめんを欲するなり。
そもそも洋学のよって興りしその始を尋ぬるに、昔、享保の頃、長崎の訳官某等、和蘭通市の便を計り、その国の書を読み習わんことを訴えしが、速やかに允可を賜りぬ。すなわち我が邦の人、横行の文字を読み習うるの始めなり。
その後、宝暦明和の頃、青木昆陽、命を奉じてその学を首唱し、また前野蘭化、桂川甫周、杉田斎等起り、専精してもって和蘭の学に志し、相ともに切磋し、おのおの得るところありといえども、洋学草昧の世なれば、書籍はなはだ乏しく、かつ、これを学ぶに師友なければ、遠く長崎の訳官についてその疑を叩たき、たまたま和蘭人に逢わばその実を質せり。けだしこの人々いずれも英邁卓絶の士なれば、ひたすら自レ我作レ古の業にのみ心をゆだね、日夜研精し寝食を忘るるにいたれり。あるいは伝う、蘭化翁、長崎に往きて和蘭語七百余言を学び得たりと。これによって古人、力を用ゆるの切なると、その学の難きとを察すべし。その後、大槻玄沢、宇田川槐園等継起し、降りて天保弘化の際にいたり、宇田川榛斎父子、坪井信道、箕作阮甫、杉田成卿兄弟および緒方洪庵等、接踵輩出せり。この際や読書訳文の法、ようやく開け、諸家翻訳の書、陸続、世に出ずるといえども、おおむね和蘭の医籍に止まりて、かたわらその窮理、天文、地理、化学等の数科に及ぶのみ。ゆえに当時、この学を称して蘭学といえり。
福沢諭吉の他の作品
TRENDIA CLASSIC
蘭学事始再版序
福沢諭吉
蘭学事始再版序
福沢諭吉 ・ 約4分
TRENDIA CLASSIC
学校の説
福沢諭吉
学校の説
福沢諭吉
TRENDIA CLASSIC
女大学評論
福沢諭吉
女大学評論
福沢諭吉
TRENDIA CLASSIC
家庭習慣の教え
を論ず
福沢諭吉
家庭習慣の教えを論ず
福沢諭吉
TRENDIA CLASSIC
学者安心論
福沢諭吉
学者安心論
福沢諭吉
TRENDIA CLASSIC
京都学校の記
福沢諭吉
京都学校の記
福沢諭吉
TRENDIA CLASSIC
教育の目的
福沢諭吉
教育の目的
福沢諭吉
TRENDIA CLASSIC
旧藩情
福沢諭吉
旧藩情
福沢諭吉
TRENDIA CLASSIC
教育の事
福沢諭吉
教育の事
福沢諭吉
TRENDIA CLASSIC
慶応義塾学生諸
氏に告ぐ
福沢諭吉
慶応義塾学生諸氏に告ぐ
福沢諭吉
TRENDIA CLASSIC
慶応義塾新議
福沢諭吉
慶応義塾新議
福沢諭吉
TRENDIA CLASSIC
学問の独立
福沢諭吉
学問の独立
福沢諭吉