学校の説
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あらすじ(AIが作成しました)
国民の徳と智識の向上には洋学の導入が不可欠であると論じる。公立学校は財政面や制度の利点がある一方で、政府の統制を受ける弊害を抱える。対照的に私立の塾は、学問の独立性を保ち、上下の身分を超えた交流を通じて文化の普及に貢献する特性を持つ。両者の長所を組み合わせ、財と才を統合して教育を推進することの重要性を説き、地理・歴史・物理・道徳・経済・法律など、実用的な学問の重要性と学習の順序を提唱する。
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一、世に為政の人物なきにあらず、ただ良政の下に立つべき良民乏しきのみ。為政の大趣意は、その国の風俗、人民の智愚にしたがい、その時に行わるべき最上の政を最上とするのみ。ゆえにこの国にしてこの政あり、かの国にしてかの政あり。国の貧弱は必ずしも政体のいたすところにあらず。その罪、多くは国民の不徳にあり。 一、政を美にせんとするには、まず人民の風俗を美にせざるべからず。風俗を美にせんとするには、人の智識聞見を博くし、心を脩め身を慎むの義を知らしめざるべからず。けだし我が輩の所見にて、開知・修身の道は、洋学によらざれば、他に求むべき方便を知らず。歴史を読みて、その実証を見るべし。世の士君子、もしこの順席を錯て、他に治国の法を求めなば、時日を経るにしたがい、意外の故障を生じ、不得止して悪政を施すの場合に迫り、民庶もまた不得止して廉恥を忘るるの風俗に陥り、上下ともに失望して、ついには一国の独立もできざるにいたるべし。古今万国、その例少なからず。ゆえに今、我が邦にて洋学校を開くは、至急のまた急なるものにて、なお衣食の欠くべからざるが如し。公私の財を費すも愛むにいとまあらず。 一、学問は、高上にして風韻あらんより、手近くして博きを貴しとす。かつまた天下の人、ことごとく文才を抱くべきにもあらざれば、辺境の土民、職業忙わしき人、晩学の男女等へ、にわかに横文字を読ませんとするは無理なり。これらへはまず翻訳書を教え、地理・歴史・窮理学・脩心学・経済学・法律学(これらの順序をおい原書を翻訳せざるべからず。我が輩の任なり)等を知らしむべし。 いわゆる洋学校は人を導くべき人才を育する場所なれば、もっぱら洋書を研究し、難字をも読み、難文をも翻訳して、後進の便利を達すべきなり。方今の有様にては、読書家も少なく翻訳書もはなはだ乏しければ、国内一般に風化を及ぼすは、三、五年の事業にあらず、ただ人力をつくして時を待つのみ。