[#ページの左右中央]
――心中見た見た、並木の下で
しかも皓歯と前髪で――
[#改ページ]
一
北国金沢は、元禄に北枝、牧童などがあって、俳諧に縁が浅くない。――つい近頃覧たのが、文政三年の春。……春とは云っても、あのあたりは冬籠の雪の中で、可心――という俳人が手づくろいに古屏風の張替をしようとして――(北枝編――卯辰集)――が、屏風の下張りに残っていたのを発見して、……およそ百歳の古をなつかしむままに、と序して、丁寧に書きとった写本がある。
卯辰は、いまも山よりの町の名で、北枝が住んでいた処らしい。
可心の写本によると、奥の細道に、そんな記事は見えないが、
翁にぞ蚊帳つり草を習ひける 北枝
野田山のふもとを翁にともないて、と前がきしたのが見える。北方の逸士は、芭蕉を案内して、その金沢の郊外を歩行いたのである。また……
丸岡にて翁にわかれ侍りし時扇に書いて給はる。
もの書いて扇子へぎ分くる別哉 芭蕉
本人が「給わる」とその集に記したのだから間違いはあるまい。奥の細道では、
もの書て扇子引さくなごり哉
である。引裂くなどという景気は旅費の懐都合もあり、元来、翁の本領ではないらしい……それから、
石山の石より白し秋の霜 芭蕉
那谷寺におけるこの句が、
石山の石より白し秋の風
となっている。そうして、同じ那谷に同行した山中温泉の少年粂之助、新に弟子になって、桃妖と称したのに対しての吟らしい。
湯のわかれ今宵は肌の寒からむ 芭蕉
おなじく桃妖に与えたものである。芭蕉さん……性的に少し怪しい。……
山中や菊は手折らじ湯の匂ひ
この句は、芭蕉がしたためたのを見た、と北枝が記しているから、
山中や菊は手折らぬ湯の匂ひ
世に知られたのは、後に推敲訂正したものであろう、あるいは猿簑を編む頃か。
その猿簑に、
凧きれて白嶺ヶ嶽を行方かな 桃妖
温泉の美少年の句は――北枝の集だと、
糸切れて凧は白嶺を行方かな
になっている。そのいずれか是なるを知らない。が、白山を白嶺と云う……白嶺ヶ嶽と云わないのは事実である。