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TORENDIA

卵塔場の天女

本文約46,800字 ・ 読了時間 約94分

あらすじ(AIが作成しました)

能役者の橘八郎とともに雪国の魚市場を訪れた語り手の槙村は、地元の紅屋の内儀であるお悦やその家族と交流する。八郎は能職としての矜持を持ち、師匠として謡を教えることに懐疑的である。物語は、能役者という特異な職業を巡る葛藤や、雪国で生きる人々の情念、そして死と生が隣り合わせにある日常の光景を描き出す。槙村は旅先で八郎や彼の親族と接する中で、雪山や野三昧の小屋に潜む人々の気配を感じ、死者を悼む烈しい情愛の存在を物語の軸として浮かび上がらせる。

泉鏡花

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一

時雨に真青なのは蒼鬣魚の鰭である。形は小さいが、三十枚ばかりずつ幾山にも並べた、あの暗灰色の菱形の魚を、三角形に積んで、下積になったのは、軒下の石に藍を流して、上の方は、浜の砂をざらざらとそのままだから、海の底のピラミッドを影で覗く鮮さがある。この深秘らしい謎の魚を、事ともしない、魚屋は偉い。

「そら、持ってけ、持ってけ。賭博場のまじないだ。みを食えば暖か暖かだ。」

と雨垂に笠も被らないで、一山ずつ十銭の附木札にして、喚いている。

やっぱり綺麗なのは小鯛である。数は少いが、これも一山ずつにして、どの店にも夥多しい。二十銭というのを、はじめは一尾の値だろうと思うと、十ウあるいは十五だから、なりは小形でもお話になる。同じ勢をつけても、鯛の方はどうやら蒼鬣魚より売手が上品に見えるのも可笑い。どの店のも声を揃えて、

「活きとるぞ、活きとるぞウ。」

この魚市場に近い、本願寺別院―末寺と称える大道場へ、山から、里から、泊りがけに参詣する爺婆が、また土産にも買って帰るらしい。

「鯛だぞ、鯛だぞ、活きとるぞ、魚は塩とは限らんわい。醤油で、ほっかりと煮て喰わっせえ、頬ぺたが落こちる。――一ウ一ウ、二ア二アそら二十よ。」

何と生魚を、いきなり古新聞に引包んだのを、爺様は汚れた風呂敷に捲いて、茣蓙の上へ、首に掛けて、てくりてくりと行く。

甘鯛、いとより鯛、魴の濡れて艶々したのに、青い魚が入交って、鱚も飴色が黄に目立つ。

大釜に湯気を濛々と、狭い巷に漲らせて、逞しい漢が向顱巻で踏はだかり、青竹の割箸の逞しいやつを使って、押立ちながら、二尺に余る大蟹の真赤に茹る処をほかほかと引上げ引上げ、畳一畳ほどの筵の台へ、見る間に堆く積む光景は、油地獄で、むかしキリシタンをゆでころばしたようには見えないで、黒奴が珊瑚畑に花を培う趣がある。――ここは雪国だ、あれへ、ちらちらと雪が掛ったら、真珠が降るように見えるだろう。

「七分じゃー八分じゃー一貫じゃー、そら、お篝じゃ、お祭じゃ、家も蔵も、持ってけ、背負ってけ。」

などと喚く。赫燿たる大蟹を篝火は分ったが、七分八分は値段ではない、肉の多少で、一貫はすなわち十分の意味だそうである。

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