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TORENDIA

案内人風景

本文約3,800字 ・ 読了時間 約8分

あらすじ(AIが作成しました)

日本アルプスで活躍した登山案内者は、純朴な山人として登山者から頼りにされてきた。近代化や登山熱の高まりにより案内者の装備や気風は変化し、登山者からの多様な要求にも直面している。登山者と山人が共に山へ向かう光景を通じて、都会的なモダニズムと山特有の野性が交錯する様子を描く。山人たちが抱える宿命的な死と、山を愛する者たちの登山の姿を対比させながら、案内という職業の変遷と、変わりゆく山岳風景の情緒を綴る。

百瀬慎太郎

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🎧 案内人風景 / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

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日本アルプス地方に於て「登山案内者」という職業的な存在が認められたのは、恐らく今から二十二、三年前からの事だろう。

それ以前のいわゆる日本アルプス探険時代ともいうべき頃の登山者たちは、概ね、猟師とか、岩魚釣りとか、杣人の類か、または、かつて陸地測量部の人夫として働いた事があるというような人を、辛うじて探し出して、頼むべき伴侶とする外はなかったのである。そしてそれらの案内たちは、誠に愛すべき純朴な山人であった。指を屈すれば、先ず、上高地の嘉門次、黒部の品右衛門、牧の喜作、中房の類蔵、大町の又吉、等、総ては今は故人となってしまった。品右衛門も、嘉門次も、共にその一生涯を岩魚釣りで過ごして死んでしまった。喜作は大正十一年の二月、爺ヶ岳裏の棒小屋沢に羚羊猟に行ってた時に、雪崩の下になって、その息子と、愛犬と一緒に死んだ。皆が、山人らしい死に方でこの世を去ったのだ。

芦峅きってのその強力で冬の登山者に取って重宝がられたあの福松も、去年一月の劍のアクシデントで無惨に逝ってしまった。

喜作の最後に就いては、当時猟友として行を共にして奇しくも生命を助かった上高地の庄吉が詳しく物語ってくれる。誰でも上高地を訪ねた人が、もし機会があったなら、彼を訪ねて炉辺に榾火を焚きながらこの物語を聞いて御覧なさい。相応しい山物語りにホロリとする所があるだろう。その時、半身を雪に圧されて救助隊の来るまでの一昼夜を動かれぬままに観念してすごした苦しさを思い出しながら、沁々と語る。喜作はかすかに、ウーンとっただけだった。私は数年前の冬、高瀬の奥で喜作が猿の皮を無雑作に頸に巻き付けた姿で、獲物の羚羊の皮の枠張に余念なかった姿を想出して、その最後の「ウーン」といったという断末魔に猿を連想する猟師たちは決して「猿」と呼ばず「猿公」と呼ぶ迷信があるからかも知れない。

福松の姉は、黒部の平の弥曾太郎の女房だ。頼もしかった弟の死を、どんなに諦めようとしても諦らめられぬと愚痴る。劍の小屋の源次郎が当時の話をしてくれる。

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