TRENDIA CLASSIC

「にんじん」とルナアルについて

岸田国士

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ジュウル・ルナアル(Jules Renard 1864―1910)の作品のうちで最もひろく読まれ、世人に親しまれているのは、この「にんじん」である。原名は Poil de Carotte 直訳すると「にんじん毛」、すなわち、にんじんのように赤ちゃけた髪の毛という意味になる。この種の髪の色は、ブロンドや栗色などとちがい、生々しくどぎつい感じのために、あまり見ばえがしないばかりでなく、一般にこの髪の色をした人間は、皮膚の艶もわるく、ソバカスが多くて、その上、性質まで人好きのしないところがあるように思われているのである。

自分の子供にこんな渾名をつける母親、そして、その渾名が平気で通用している家族というものを想像すると、それだけでもう暗憺たる気持に誘われるが、いったい、ルナアルは、どういうつもりでこの作品を書いたのだろう?

言うまでもなく、彼は、自分の少年時代の苦い追憶を、ことに、異常な性格をもつ母親と、その母親をどうしても愛することのできなかった、そして、その原因は母親のほうにばかりあるのではないことを知らなかった自分との、宿命的な対立を、いくぶん皮肉をまじえて、淡々と、ユウモラスに書いてみたかったのである。

彼の日記によると、この「にんじん」の内容がだいたい事実に基づいたものであることはわかるが、この作品を必ずしも彼の自伝の一部として見るのはあたらないと思う。

これは、あくまで小説として読むべきもの、「にんじん」なる少年も、その両親ルピック夫妻も、「にんじん」の姉も兄も、いずれも、それは、単なるモデルのある人物にすぎないのである。

ただ、少年「にんじん」だけは、作者の自画像としてみるのでなければ、この作品に登場する人物のうち、特にルピック夫人の戯画がなんとなく「つくりもの」のような気もするのであるが、この作品に問題があるとすればそこなのである。

ルナアルは、たしかに、この物語において自己告白もしていなければ、自己弁護もしていない。事件の軽妙な配列と、描写の客観性とによって、あくまでも感傷の跡を消し去っている。

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