TORENDIA
教門論疑問
柏原孝章
TORENDIA
教門論疑問
本文約5,600字 ・ 読了時間 約12分
あらすじ(AIが作成しました)
西先生の教門論を読み、その立論が古説と異なることに疑問を抱いた著者が、信のあり方、政治と教門の関係について論じる。人は知識や観察を経て真実を知り疑いなくなることで信じるに至るが、個々人の心に根ざした信には浅深がある。政府は宗教が道徳を育み社会の秩序を保つ役割を果たすことを認識し、民の邪教への沈溺を放置してはならない。教門は政治と本来分かち難く、正しい教えこそが人々の心を正し、国家の治安の根幹をなすと説く。
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○教門論疑問 第一
余このごろ西先生の教門論を読に、その文真切、その義奥妙、反復数回発明するところ少々ならず。しかして窃おもう、その立論の旨おおいに古説と同じからざるあるをもって、看者胸中の先入を一洗するにあらずんば、おそらくはその真意の向うところを認めざらんことを。よりて、余いま固陋を省ず、その了解し難きゆえんの意を摂録し、あえて先生に質す。もし先生の垂教を忝せば、あに ただ[#「あに ただ」はママ]不佞の幸のみならんや。
およそ政を行い教を布く、まず信を人に得るにあり。信ぜられてしかるのちに令行れ、教立つ。いまだ信ぜられずんば、令して行れず、戒め守られざるなり。これを信ぜしむるの道同じからずといえども、人をして疑わしめざるに至ては、すなわち一なり。それすでに疑わざるに及んでは、水火をも踏ましむべく、木石をも拝せしむべし。けだし信の難きにあらず、これを信ぜしむるを難しとす。すなわち徳をもって信を得る者あり、術をもって信を売る者あり、人のこれを信ずるや、いまだかつて知らずして信ずる者あらず。それこれを信ずるのはじめ、目これを見、耳これを聞、心これを察し、その信ずべきを知て、しかるのちはじめて疑わざるに至る。