TRENDIA CLASSIC

大阪の宿

水上滝太郎

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一の一

夥しい煤煙の爲めに、年中どんよりした感じのする大阪の空も、初夏の頃は藍の色を濃くして、浮雲も白く光り始めた。

泥臭い水ではあるが、その空の色をありありと映す川は、水嵩も増して、躍るやうなさざ波を立てゝ流れて居る。

川岸の御旅館醉月の二階の縁側の籐椅子に腰かけて、三田は上り下りの舟を、見迎へ見送つて居た。目新しい景色は、何時迄見て居てもあきなかつた。此の宿に引越して來て二日目の、それが幸なる日曜だつた。

三田は、大阪へ來て、まだ半年にしかならない。其間、天滿橋を南へ上る、御城の近くの下宿に居たが、因業貪欲吝嗇の標本のやうな宿の主人や、その姉に當る婆さんが、彼のおひとよしにつけ込んで、事毎に非道を働くのに憤慨し、越して行く先も考へずに飛出してしまつた。大きな旅鞄と、夜具蒲團と、机を荷車に積み、自分で後を押して、梅田の驛前の旅人宿に一時の寢所を定めたが、宿の内部の騷々しさに加へて、往來を通る電車のきしり、汽車の發着毎にけたゝましく響きわたる笛の音、人聲と穿物の三和土にこすれる雜音などが、外部からひた押に押して來て、部屋の障子が震へる程で、机にむかつて本を讀んだり、かきものをしたりするおちつきを與へて呉れなかつた。それでも半月は辛抱した。人にも頼み、自分でも會社のゆきかへりに方々見て廻つたが、扨て恰好のうちは無い。氣に入つたところは宿料が高く、安いところは氣に入らなかつた。つい氣のおちつかないまゝに、夜は宿を出てうろつき廻つた。

そんな時に足をやすめる場所は、關東煮がおきまりだつた。懷中の都合もあり、カフヱは虫が好かないので、自然と大鍋の前に立つて、蛸の足を噛りながら、こつぷ酒をひつかける事になる。天神橋の蛸安は、前の下宿時代からの深い馴染だつた。

「何處かに、安くて居心地のいゝ下宿屋は無いかしら。」

いつぱい機嫌で、若い主人に訊いて見た。

「安うて居心のえゝ宿屋だつか。」

眞面目にとりあつてゐるのか、ゐないのか、腰の煙草入から煙管をぬいて、悠々と烟を吹きながら、お義理らしい小首を傾けた。

「大將。」

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