九月一日
本文約14,200字 ・ 読了時間 約29分
あらすじ(AIが作成しました)
由井ヶ浜の別荘で夏を過ごす一郎と澤、そして養子の若者たちは、主人の不在の中で気ままな日々を送る。学生で富裕な一郎と、困窮する奨学生の澤は、同じ養子の女性をめぐり複雑な感情を抱えていた。ある日、突然の大地震が彼らを襲い、崩壊する屋敷の中で生死の境を経験する。本作は、未曾有の災禍を背景に、身分の差や自身の境遇に悩みながら生きる若者たちの日常と、揺れ動く心理状態を描く。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
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一
八月三十一日の夕方、朔日から学校の始まるちいさい子供達を連れて、主人夫婦は東京に帰る事になり、由井ヶ浜の曲淵の別荘には、九人の人数が残る事になった。長男の一郎と、長女の甲子と、次女の乙子と、夫人の里の遠縁の者の娘で甲子や乙子の世話をする養子と、一郎の同級生の澤と、女中の延と鉄と、別荘番のじいやとばあやがいた。外には英国種のポインタアの年をとってよぼよぼしているのがいた。
行儀のいい事を何よりも好む、神経質で口やかましい主人がいなくなったので、いい合せたようにみんなの心持は愉快に自由に放縦になった。停車場へ送って行った帰りに、一郎は外の者に別れて、一の鳥居の側にいる岡部の兄妹を誘って、ホテルに出かけた。夏中そこの舞踏場で、一郎の連中は、亜米利加の女や日本の令嬢達と踊ったが、今はもう客も少なく、比律賓から夏場の稼ぎに来ていた楽手達も、小金をためて帰国してしまって、涼しい風の来る広い板の間に並べた卓について、飲料をとる人影もなかった。それでも一郎は楽しかった。目の前に明るい顔をしている友達の妹の心を、この頃になって、漸くしっかりと捉えてしまった確信があった。いつでも、こっちから求めさえすれば、求めるものは容易に与えられそうないきいきした希望と、流石にそれに伴う軽い不安とに、若々しく、健康で、浮気な胸をおどらせていた。
一郎と別れた外の者は、滑川に沿った砂山から海辺に出て、夕日の沈んで行く頃の、めっきり秋めいて冷い渚に、下駄や裸足の跡を残して歩いて行った。