TRENDIA CLASSIC
大人の眼と子供
の眼
水上滝太郎
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私の子供の頃のことであるが、往来を通る見ず知らずの馬車の上の人や車の上の人におじぎをして、先方がうっかり礼をかえすと、手をうって喜ぶいたずらがあった。日清戦争の頃で、かつ陸海軍の軍人の沢山住んでいた土地柄、勲章をぶらさげて意気揚々として通る将校が多かった。向こうの方から、金モールを光らせて来る姿を見ると、車の前につかつかと進んで、帽子をとったりして得意がるのであった。子供のいたずらと知って、すまして通り過ぎるのもあり、笑って行くのもあるが、中にはおあいそに礼をかえすのも、またうっかり誘われて本気で手をこめかみに上げる人もあった。偉い大人が自分たちの相手になってくれた嬉しさと、偉い大人を相手にさせてやったという力量をほこる心持が、ちゃんぽんに心の中で躍った。たった一人、いくど繰返しても、うかとは手に乗らない苦手があった。その頃は少佐か中佐か、いくらよくても大佐だったろうが、後の海軍大将伯爵山本権兵衛である。毎日馬車に乗って、参謀の徽章を胸にかけて通った。不思議に子供も名前を知っていて、権兵衛が来た来たと、口々にしめしあわせながら、先を争って帽子をとって頭をさげた。しかし権兵衛さんは、頬髯に埋まった青白い顔に、陰性の凄い眼を光らせて睨みつけるばかりで、微笑を浮かべた事さえなかった。
「権兵衛が種蒔きゃ鴉がほじくる……」と子供はくやしがって、馬車のうしろから追いかけながら、はやし立てるのがおきまりだった。
だが、自分がここに記そうとするのは、権兵衛さんの面影ではなく、同じくその往来の出来事で永く心に残って忘れられない白馬に乗った人の事なのである。それを、子供の眼が、いかに実際あるよりも美しく見るものかという例証のひとつにしたいのである。