終戦と共に東京の空が急に平穏にかへつたときは誰もがホツとしたであらう。が、それから当分の間、あの遠くでならす朝夕のサイレンの声が空襲警報のやうに聞えて、いやだつた。鳴らすやつもさうした錯覚をねらつて、からかひ半分にやつてゐるやうにさへ思へたものだ――進駐軍が蜿蜒幾十台ものトラックで米大使館の周辺に乗りつけるやトラックから一斉に飛び降りた兵隊らが、いきなり道路脇にじやあじやあと放尿をやらかすその光景にも何かしら一種のもの悲しさを覚えさせられたものである。それからミズーリ艦上の降伏調印――当時の悲しい思ひ出は、今、口ではいへない。が、それからの二三年間の深刻な困苦の連続をかへり見るとよくも耐へて来られた……と誰しも思ふだらう。雑草も喰ひ、カボチャの大きくなるのが待ちきれずにボールほどのやつをもぎとつて喰つたこともある。胃の弱い私でさへ喰ふ物が乏しいとなると、喰ひ意地が殺気だつてまるで底なしの食慾だつた。今思ひ出してもふき出したくなるが、或る日のたそがれどき、人通りの絶えた溜池通りを歩いてゐると、サツマイモが一つころがつてゐる。相当にでつかいやつ。そのまた二三メートルさきの方にも落ちてゐる。多分、自転車のうしろの荷台からこぼれ落ちたものであらう。おかげで夕飯のたしになつたが、それからといふもの、日の暮れがたに町を歩いてゐると馬糞がサツマに見えて、ついサンダルのさきで軽く小あたりに蹴つて見たくなつたものだ。
或る日、米国大使館から芝明舟町の方へとだら/\坂を下りて行く途中、丁度もとの大倉商業の前あたりの電柱の陰に、新聞紙にキチンとくるんだ折箱らしいものがおいてあつたので、恥を忍んで開いて見ると、何ときれいな折箱の中に銀めしのお握りが寿司詰に入つてゐるのだ。さすがに私は一瞬間考へた。人にほどこすために置いたものか、それとも……と私には判断がつかぬまゝに、もとの通りに新聞紙にくるんで、うしろ髪ひかれる思ひで行きすぎたが、戻りに見るともうそれはなかつた。