1 中野重治
「ここは穴だ 黒くて臭い」 これは中野重治の生涯のスローガンだった 彼は帝国ホテルのまん中で立停り 鼻をいじりながらこう呟いた それから機関車の後姿を見送って うや/\しく敬礼しながら だがこの偉大な「大男」の煤臭いにおいにへきえきして またこう呟いた 列車が雨のふる品川駅につくと 彼は前衛の乗客を見送りながら 大きく息をついて 「さようなら」と言った 中野はいつも「さようなら」と言いたがる
だが中野は党員である 彼は投獄されると、はじめて いつでも「いよいよ今日から」だとゆう そして多かれ少なかれがんばらない彼のグループの中で 彼は最後までがんばることで有名である
中野は牢獄であらためてハイネを読み ハイネはやはり自分よりまづいなと思う だが中野がハイネに対する長所と短所は 彼が彼の美くしい同志である妻に対して ハイネのような恋愛詩集を恐らく一生かかっても書けない所にある 彼は酒をのみ さながら党員であるかのように 党員をサボタージュしている そしておっかなびっくり彼の妻に接吻しながら 「おれは今夜お前の寝息をきいてやる」とゆう
2 森山 啓
散文は抑揚と句読点によって韻文に転化される これが森山啓の詩論だった 彼の情熱的な「南葛の労働者」を 人民たちは一字一句を変更することなく 浪花節に引きのばして歌うことが出来た だがあのころの集会の思い出に 今なお労働者は眉をひそめて彼をなつかしがる
「隅田川いざ事問わん森山啓
過ぎし人望ありやなしやと」
何といっても 「コンミューンの戦士」と「犠牲者の遺児に」は彼の傑作だった 階級的な仕事の中で 個人的な享楽とものを書くことより牢獄を選ばねばならぬときは ふしぎと思い出したように、いつでもこの詩が愛誦されたときだった