TRENDIA CLASSIC

高祖保

1 / 12

Sine qua non

乖離

十月。秋神の即位。――金鶯一羽、廃園のエルムの樹に通ひはじめる。

道傍の亜灌木にある、水禽の糞。

湖からあがる風が、弧を描いて、水霜の葉におちる。

青い鶫が食卓にのぼりだすと、聖餐式のやうに澄んだ夜ごとが、展ける…

手帖に一篇天使園の薔薇といふ詩を、書きとつた。それから、パピィニの自叙伝を読んだ。そして、ひとりで眠つた。

「灰色の靴下を穿いた秋」が、わたしの精神の罅裂の隙き間から、潜りこんでくる。

霊感の屯。――たましひの寨。

福音書的とは、何といふことであらう。

海扇貝にみえる、支那団扇。

かれが年老いたアナクレオンのやうに、雨にうたれながら詩を吐き出す、――吐き出すことそれは、一向エヴァンヂェリックではない。

弗羅曼とよばれる、割烹店の中二階。孔雀草の群落。

わたしは水馬歯を刻んで、それへ該里の酒を滴らせる。秋ばかりは、金いろの時間が、燠のやうに燻つて。…

みづうみ ほととぎす啼や湖水のささ濁り  丈艸

私は湖をながめてゐた 湖からあげる微風に靠れて 湖鳥が一羽 岸へと波を手繰りよせてゐるのを ながめてゐた 澄んだ湖の表情がさつと曇つた 湖のうへ おどけた驟雨がたたずまひをしてゐる そのなかで どこかで 湖鳥が啼いた

私はいく夜さも睡れずにゐた 書きつぶし書きつぶしした紙きれは 微風の媒介で ひとつひとつ湖にたべさせていつた 湖 いな

貪婪な天の食指を追ひたてて そして結句 手にのこつたものはなんにもない 白けた肉体の一部 それから うすく疲れた回教経典の一帙

刻刻に暁がふくらんでくる 湖どりが啼き 窓の外に湖がある 窓のうちに卓子がある 卓子のめぐり 白い思考の紙くづが堆く死んでゐる ひと夜さの空しいにんげんの足掻きが のたうつてそこに死んでゐる! この夥しい思考の屍を葬らう 窓を展いて 澄んだ湖のなかへと

Sine qua non

そなたの睡眠は、夜つぴて白く窓を埋める

片脚あげた 噴き上げの鶴よ。

わたしは読み飽いた「聖ヨハネ祭の夜」の頁をたたみこんで、暗い一閑張の下に、さて閉ぢようとして気づいた。

高祖保の他の作品