希臘十字
本文約7,400字 ・ 読了時間 約15分
あらすじ(AIが作成しました)
湖中に沈んだ汽船と、その湖畔で思索する「わたし」の姿を起点に、神秘的なイメージや記憶が断片的に綴られる。理髪店での空想や錬金術への思索、散歩道での日常的な光景、そして「わたし」の転生と湖を去るまでが、象徴的な詩的言語で描かれる随筆と詩編を収める。通俗の中にひそむ神秘を求め、美や死、超越的な時間への問いが、湖の静寂や移ろう季節を背景に展開されていく。
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Kalokagathia 「――宇宙は、単にタアオラの殻にすぎない」(ゴオガン)
一と夜。あらしの怒号が落ちてきた。
この湖中に、一隻の汽船が沈められた。
朝。わたしは見た。マストだけが湖面に二つの手をさしあげてゐる。それは、わたしの双の手に肖て、空な足掻きを仕つくして、倦い厳粛のしづもりに返つたといつたありさま。
けふも湖のほとりにあつて、追はれるもののごとく、右顧左眄しながらわたしは思ひ索める。二本のマストは微風を呼んで、湖面に二個の波紋を放つてゐる。あの下に、汽船はとらへ難い空を追ひながら、青い睡りを貪つてゐるであらう。それに似て索めるものは遠くかに捉へがたい。竟にそれは何であらう。むなしくうち顫ふ、掌とゆびと。ひと日は思惟の彷徨につかれる。
湖の眼はこの二本のマストのほかに何もない。それは神秘を麾くトランシットに似たものである。ここからわたしは、あなたの眼のなかに澄んだ死海をみる。あなたの掌のうちにあるカロカガテイァを! それらのものはかに遠い。とらへがたい冷酷な距離よ。だが、おそらく思惟の犂のひとかへしは、この通俗な世界のかなの神秘を発掘するより首まるのだ。通俗は普遍のなかに、金鉱のやうにひそんでゐる。もし、あの神秘が地球儀のなかに眠つてゐるとすれば……
夕焼けのそらに、幾すぢの河が尾を曳いてゐる。
マストは暮れる。金星をいただく湖水の上で。
いまは詞もなく、報らせもない。ただゆるぎない、無辜のひととき。微粒の砂に没するひかがみは、湖水のふかさを超えて土のふかさを知る。それは通俗の木に萌した神秘の芽であらう。これは誰に剪られ、誰に踏み蹂られるうれひすらもない。
そこに、夥しい通俗のひかりよ!
さうして、おお! 神秘の発芽よ!
希臘十字
日は亭午。――翼のごとく汝の双手をひらけ。而して、彳て。希臘十字にかげを曳かむ。
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