TORENDIA
我が一九二二年
生田長江
TORENDIA
我が一九二二年
本文約520字 ・ 読了時間 約2分
あらすじ(AIが作成しました)
一九二二年を生きるある詩人の姿を綴る。彼は自らの本性に合わないものをすべて脱ぎ捨て、自ら紡ぎ出した芸術という衣装を纏って孤独な道を歩む。現代の詩壇において、彼の詩は渾然一体とした古典性と溌溂とした未来性を併せ持ち、時代に迎合しない独自の価値を放つ。生田長江は、自らに対して最も厳しい批評家であり、常に自らの芸術を追求し続けるこの友人の生き方を、羨望を込めて描き出す。
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🎧 我が一九二二年 / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう
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私達の友人は既に、彼の本性にかなはない総ての物を脱ぎ棄て、すべての物を斥けた。そして彼自らの手で紡ぎ、織り、裁ち、縫ひ上げたところの、彼の肉体以上にさへ彼らしい軽羅をのみ纏ふて今、彼一人の爽かな径を行つてゐる。
他の何人に対してよりも、自分自身に対して最善の批評家であるところの彼は、つねにただ、彼の子供として恥しくない子供だけを生み、より恥しくない子供だけを育て上げてゐる。彼のと異つた芸術を要求することは固より許されよう。彼のにまさつて完全なる(或は完全に近い)芸術といふものは、たやすく現代の世界に見出されないであらう。
彼の芸術は、詩に於て最も彼らしきところを、最も完全なるところを示してゐる。
今の詩壇に対する彼の詩は、余りにも渾然たるが故に古典的時代錯誤であり、余りにも溌溂たるが故に未来派的時代錯誤であることを免れない。
嗚呼、この心憎き、羨望すべき時代錯誤よ。時代錯誤の麟鳳よ。永久に詩人的なるものよ。
『永久に詩人的なるもの』私達の友人よ、ねがはくは彼によりて、彼を取りまける総ての者が、詩の天上にまで引きあげられて行くことを。
一九二三年一月十四日 生田長江
月をわび身を佗びつたなきをわびてわぶとこたへんとすれど問ふ人もなし。
芭蕉翁尺牘より
完